二十七
シュウはバスの中にいた。何かに導かれるように虚ろな眼差しで一段高くなった、一番後の端の席に腰かけていた。
利二の問い掛けにも応えずすうっと立ち上がり、家の、玄関の木戸を跨いでからこうしている間中、全くの無表情を作ったままであったのだ。
車窓の景色は灰色の雲におおわれ、山の裾辺りにわずかな夕焼けが生まれていた。
眩しさなど全く気にしない様子で外を見つめていた。
夕日を遮る民家が多くなる。その国道を通る中で、ときおり覗かせるその夕焼けは次第に紫がかったそれへと変わっていく。
まるで山賊でも現れるのではとおもわれる様相を見せた麓にさしかかっても、シュウは瞳をただ湖がある辺りに向けるばかりであった。
大きな窪みにバスのタイヤがとられた。上下に弾んだ車内でシュウの意識が飛んだ。
レコードの針がずれて元あった溝に戻るがごとく、利二の話の中に再び入ったのである。
「彼女は腕を怪我した。ひどいものであったが、動じずわしをかばったんだ」
黒龍は歪みの狭間に分け入ったのである。
どうやったのかなど到底わからない。あの橙でさえまさかと侮っていたほど唐突な事であったのだ。
滴り落ちる鮮血など気にも止めず彼女は竜の行方を追った。
「このままではだめだわ。ここから出るのよ。その前にあなたの分身をつくる」
橙は黒龍が大きく空を旋回している隙に利二の髪の毛を数本抜き取って掌にのせた。
震える腕。
顔はやや青ざめたようにさえ見えた。
ハタリと垂れた前髪に鋭い眼光を覗かせ、まじないのような動作をつくった。
直ぐ傍にいる利二でさえも聞き取れないほどの声で何やら呪文を唱えた。
その後に手の上に息を吹き掛けたのである。
やがて掌から漂い落ちるその毛から蒸気のようなものが吹き出した。そしてその煙の中から人影らしきものが現れたのであった。
「いざ、この迷宮を、その形果てるまで、疾走せい」
橙はそういってその影に、疑似生命ともいおうか、動く命を宿らせそれに指図したのだ。
そしてすぐに、利二に再び杖を握らせこの世界を脱出したのである。
竜はまんまと橙の策にかかった。利二の影を追うべく狭間の中を翻弄したのである。
影が尋常ならざる速さでその空間を駆け巡る。それをどこまでも追いかける黒龍の姿に安堵した橙は滝壺の前で崩れてしまったのだ。
「わたしは彼女の肩をとり下山したんだ。山深い場所とはいえすぐに道に出るはずなのにその時ばかりは道のりが長く果てしなく感じたもんさ。後ろを振り返り黒龍の追随に怯えた。草木が騒いだり小枝を踏み鳴らす音がする度に立ち止まった」
ひたすら道を急ぎついに駐車場にたどり着いた。
止めてあった軽自動車のドアを開けると橙をいたわるようにして窮屈な後部座席に寝かせた。
エンジンをかけ、そそくさと逃げるようにその場から離れた。
どこをどう走ったか等忘れるほど無我夢中に加速させる利二に橙は時おり苦しそうな呻き声を立てつつ話しかけた。
「近江・・・」
「どうした?」
「八幡は琵琶湖の北、萩の寺へ・・・うっ」
そういって意識を失ってしまった。
「何!琵琶湖か、琵琶湖の萩の寺だと」
利二は慌てながら記憶をたどった。
「萩の寺といえば確か神照寺」
バスは暗闇が広がる林の中に入っていく。
シュウの記憶は利二の話と何者かの語りかけの間を行ったりきたりした。
「坊やこっち・・・こっちよ・・・さぁ・・・」
例の金属の擦れる高い音が、彼を余計に朦朧とさせた。
すると、前に聞いた男の声がその催眠作用をかき消した。
「だめだ、眠ってはだめだ。誘われてはいけない。近づくな……絶対に」
利二が橙を起こす声がした。
「着いたぞ。神照寺だ、萩の寺だよ」
橙は薄目を開けて本堂から漂う線香の香りをかいだ。
「あぁぁぁ、懐かしい。そこの傍に祠があるの。扉を開けて中から筒をとりだし・・・うっ」
「わかった、わかった。無理にしゃべるな。祠だな、筒だな。よし、取ってくる」
車を勢い良く降りて寺の敷地内を探った。程なく彼女が行ったように社が、稲荷の鮮やかな社が見つかった。
そこに祠が鎮座し扉が小さいながらも重々しく閉ざされていた。
一礼をし、利二はその扉を開けると中に確かに筒が置かれていた。
急ぎ車の中で横たわる橙に持っていった。
「さぁ筒だ、これを・・・」
橙は今度は再び車を走らせて欲しいと訴えた。
「ああ、わかった。どこへ行けばいい」
「この近くに廃墟があるの。私はもう大丈夫、あと少し我慢すれば楽になるから」
「死んではならん、死んでは。絶対に死なせはせん」
「ふふふ、あんなに業突く張っていた人が・・・うっ」
利二は指示された場所を探した。確かに言われたような廃墟があった。
そこは、昔の何かの工場のようで壁も崩れ、屋根もほとんど残っていないような無惨な建物であった。
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