十二


父は無表情の上に、何かに囚われたような生気を欠いた瞳を見せていた。ハンドルはそれでも確実に、滋賀は湖北・長浜市、琵琶湖の東側にある葛籠尾崎を捉えていた。

彼は運転しながらも女の声を聞いていた。

「稜……私を助けて……」

導かれる声によって彼の感情など鬱積は当に忘れさられていた。

シュウが学校に行った後、頭の重さを訴えて頭痛薬を飲んだ。そして、昨日の醜態を思い返していた。もちろんそれは、彼自身の屈辱的なほとんど、耐え難い履歴として残ってしまった。

いくら、窒素病とはいっても素人でも掛からない水深であったこと、そして冷静にいることはそれほど難しくはなかったはずではないかという後悔が彼を苦しめた。

カウンターで頭を抱えていると、例の声がまた聞こえた。

「止めろ、止めてくれ。もう来ないでくれ」

何度も何度もそういいながら半狂乱に暴れまわった。

椅子が倒れ込み自分も転がってしまった。そして彼の頭の中に、あの人物が入ってきたのである。そして、操られるごとく車に乗り込んだのであった。

かなりのストレスを溜め込んでいると思われた彼は、精神の疲れ、肉体の疲れなど全く感じなくなったまま運転を続けた。

妻、三津子と信じてやまない、いや、そう刷り込まれた暗示が彼を変えてしまっていたのである。

夜の八時にはとある湖畔の崖に着いた。稜はそのまま車の中で眠ってしまった。

また夢を見ている。

「あなたは、誰ですか?何故私に……」

「稜、私よ、三津子よ」

「まさか、だって君は死んだじゃないか!」

「そう、あの時毒蛇にかまれて死んだわ。でもこうして精神だけはさまよっているの。成仏すら出来ないこの場所……あぁぁ、寒い、苦しい。お願い私をここから出して」

運転席で苦しそうにもだえる彼のことなど、車が一台やっと通れるような山深い林道の一角では誰ひとり気づくはずもなかったのである。


ピーターはシュウの話を聞いていた。

「学校でハッキングしたんだ」

彼は驚きもしなかった。ハントでも極日常的に行われる手法であったからだ。

「そして、『祟り』っていう項目を調べてみたんだよ」

「タタリ?エンコンノノロイトカ?」

「ううん。人に恨みを買うなんてうちにはないよ。そんなのピーターだってわかるでしょう?日本の祟りは巫蠱(ふこ)の術で行われるものもあるけど、それは呪いを目的としている祟り。でも今回のは別の意味があると思う」

「ヘビの呪いは実際にヘビを殺したり、何か危害を加えたことでそれが祟るって言われているそうだけど、そうではないとしたらって考えたんだ」

シュウは詳しく学校であったことを説明した。

かつて奈良にあったとされる大神神社。蛇神である大物主神は豊穣をもたらすために雨や雷を呼ぶ天候神とあがめられた。

一方ではその強靭な力を象徴し祟りなす神と恐れられていた。文献はすでに消え去ってしまっていたが、シュウの調べた情報筋では、百年に一度その神の呪いが現世をさまようと言い伝えられてた。

その呪いの周期を詳しく研究した学者もいたそうである。

奇妙な周期は大きな天災があった後の半世紀後に現れたという。

磐梯山噴火と濃尾地震のあった時代から半世紀、日中戦争で贅沢は敵とばかりのスローガンが日本中に鳴り響くなか、蛇が動いたという。

琵琶湖のほとりに住んでいた男がいつものように漁にでる準備をしていると、なにやら白い大きな大蛇が彼のそばに突然現れた。

そばで同じように漁をする仲間が危険を察知しすぐに逃げろと叫んだ。

だが、その男は身動きすら出来ずにその蛇の前で硬直してしまったのである。

蛇の冷ややかな目は彼を捉えゆっくりと鎌首をもたげた。

誰もが食べられてしまうと思ったその時、蛇の体は半分透けたような体に変わり彼の身体に溶け込んでいったのだという。

遠くから見ていたものは腰を抜かし平形船の上でブルブルと震えていた。

何を思ったか、男はそのまま、湖の中に入ってしまったのである。

息が続くでもない、皆も苦しくなって上がってくるだろうと思ったが、五分しても十分しても上がってはこなかった。

男は泳ぎも潜りもこの仲間の中では群を抜いてうまかったらしい。溺れることはないとしても全く浮かび上がる気配がなかったというのだ。

そのとき、皆は蛇が乗り移ったのだと口々に騒いだ。とうとう一時間が経過して、漁で使う底引き網を湖に放った。

何べんも何べんも底をさらうように網を張った。それでも彼を引き上げることは適わなかったという。


「ソレガタタリ?」

「うん。他にも似たようなことがあったらしいけど、極めつけはこれだった」

天明の大火、京都の大火事からすでに半世紀が過ぎた。丁度、大塩平八郎の乱が起こった翌年のことである。

各地でまるで神隠しにでもあったような事件が相次いだ。

成人した男が何人も行方が分からなくなる。あるものは妻子ある輩、あるものは商売が上昇傾向にあった輩、更には地方の何のとりえもなさそうな田舎の男もいなくなったという。数にすれば十名前後。

神隠しなるものはこの時代においてはさほど珍しくはなかった。そのほとんどが人売り・人買いと呼ばれた不道徳な行為であったといわれている。そしてその対象は女子供であった。女は遊郭や女中として売られ、子供は下働きのために売られていった。

だが、今事件はそうした弱者ではない。追いはぎなど山賊に殺されたのならば死体が出ても不思議はないがそういったこともない。第一町民も含まれていることから略取とは考え難い。つまりは大の男ばかりが忽然と消えたということなのである。

彼らの共通なことといえば泳ぎが達者だということであった。それはこの事件があった数年後に分かった事実であったといわれる。

そして、近所でいなくなった瞬間を偶然目撃したものは白い蛇が男の体をぐるぐると巻き込んでいったといっていた。町方もそうした口書を集め上に知らせたという。それが時間を経て江戸に集まってから世にお触書として広まった。

何故彼らがいなくなったのか、またどこへいったのかはわかっていない。唯一、富山湾の入り江近くで漁師でもないのに男が十名くらいで沖に向かったということである。奇妙な一行は船に乗り込み朝霧に吸い込まれるように出て行った。以来その船は戻らなかったという。

「エドノフダニハ、ナント?」

「昼夜問わず人に取り憑く白蛇これ有り候事、用心なく海に連れて行くなり。よくよく行い心がけ、呪いの蛇に気をつけるべし」

シュウはどうして蛇が祟るのか更に調べた。

ピーターはそして、彼の言う言葉に素直に驚いたのである。

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