父は黙って障子を張り続けた。ピーターもそれを手伝っていた。
二人がこうして仲がよいのはシュウのおかげでもある。小さい時からかわいがってくれたピーターは小さな弟が出来たと喜んでくれた。父が忙しい時は二階で面倒を見てくれたものだ。
シュウは今日はどうしたのか尋ねた。
「シュウカラモセットクシテクダサイヨ。スクールノセンセイガ、グアイガワルクナッテシマッテ、カワリニダレカインソツシナケレバナラナイデス。ボクハモチロンイキマスガ、モウヒトリデナケレバナラナイノデス」
事情が分かったが、父は断り続けているという。
作業をする父の後ろに立てかけられた写真の中には幸せそうに笑う、ダイビング姿の父と母が写っていた。
今から二十二年前……
稜は今日も海の上だ。日本でも屈指のダイバーであった彼は、とある船長にスカウトされたのである。その初の搭乗であった。
船乗りの中で冷静で口数の少ない彼は狭い船内で独りせっせと働いていた。
彼の乗る船はいわゆる漁船の船体でもなく、クルーザーというような豪華なものでもない。
船の横に書かれた『Navire au trésor』というものとは程遠い作業船であった。そしてその船の中では「次なる獲物」、という言葉がよく聞こえた。時々船尾がうねりを上げ船首が反動で傾く状況でも乗組員はかまわず想像をめぐらしていたようであった。
「オフコース」船長が決まって皆に言う台詞であった。
稜以外は皆外国人である。
船長は、このパーティーを指揮するフランス人である。考古学に精通していた。ヨーロッパはもとより、オセアニア、キューバ、インド、そしてアジア圏もの古い遺跡に明るかった。舵を取る彼は皆にカークと呼ばれていた。
イタリア人のロベルトは海洋学に長けている。海を知り尽くした男であった。船長の操縦を補佐し時には難しい海域を数々の経験で培われた分析と感で切り抜けた。
ルイはイギリス人で冒険家だ。度重なる危機の中でいかに生き抜くかを常に心がけていた。得意な分野は海の危険生物などの他、地質学や物理に詳しかった。
まだ見習いのオーストラリア人のピーターは稜の後輩に当たる。見習いダイバーとはいってもメカにはめっぽう強い。解体したエンジンなど手引書がなくとも組み立ててしまうほどである。
彼らは世界でも認められた、トレジャーハンターなのである。
稜の身体能力は世界屈指で、そのダイビング能力は誰もが驚くものであった。ブラッドシフトに特異体質が働き水深百メートルを優に超えて潜れたのである。
海底まで五~六十メートルがもっとも彼等が得意とする水域であった。何千メートルもの深海に沈んでいるとされる豪華客船や戦争当時に略奪品を運搬していた大型船などの引き上げは彼等のターゲットではない。専ら美術品や考古学的に価値のある品々のみを探していたのである。
比較的浅いそうした場所に多くの宝が埋没していた。理由は密輸を目的とした小型船の往来が頻繁にあり、その途中で難破や襲撃にあい海の藻屑となった事件が数多くあったからである。沈没後の引き上げは海上保安当局により監視され、勝手になされることはなかった。だが何十年もそうした警備が続くわけもなく、今はほとんど野放し状態であった。
もっとも、かつての取引者も一部腐敗しているだろうそれに、お金をかけてまで引き上げる労力を嫌っていた。
トレジャーハンターはそうした中で政府にも働きかけ、自由に捜索することを可能にした。稜はだから余裕でその場所に潜ることが出来た。誰もが出来る仕事ではなかったのである。
ライトで辺りを照らし彼が探す姿を、アシスタントのピーターが、大きめのライトを装着した撮影カメラをもってレンズに収める。海上で待機する船長が宝の有無を確認するといった按配であった
上からの指令は全て耳に刺してあるイヤホーンに集約される。
今回は水深三十メートルという浅場である。ダイバーの吐き出された酸素が海面に向かい浮いていく。すると、ルイがなにやら怪しい珊瑚を見つけた。通常のダイバーであれば気に留めない、クシハダミドリイシなどのテーブル珊瑚やごつごつと海草を付着させた岩であっても、彼の目には不自然なつくりであると見極められるのであった。
「ソノシタ、カメラデアップシテクレナイカ」
やはりである。
多くの小枝や小突起をだして伸びる珊瑚の群生の中でぽっかりと穴が広がった領域が見えた。
チャネルである。そこに、真っ直ぐに、ほとんど人口的であるのがわかるような隆起物がみえた。
カークもすぐにそれが船体の一部であることを認めた。
「ケッコウオオキソウナフネダナ。レイノダロウカ?」
ルイがそう言ってカークの顔を覗き込むようにみると、何かを勘定しているようなそぶりを見せていた。そして思い立ったように指示を出した。
「シュウ、ソノトッキカラ、シタマデ、ヨンヒロアルカハカッテミテクレ」
あえてフィートではなく尋を使うところが洒落ていると稜は思った。
「イエッサー」そういってすぐに調べにはいる。
ルイの読みどおり中型の船のようである。船首を上にした状態で垂直に立っている。砂地に残りが埋まっているのであろうか。このままではわからない。ただ、横幅から見ても漁船のような感じがした。
「カーク、流石に艫(トモ)が埋まっていて船体の長さまではわからない。推測だが四から五尋はありそうだ。まって……」そういって息を潜めた。
鮫だ。ルイは画像に映ったそれを注意深く見ていた。
ハンマーヘッドシャーク。通常群れを成して泳ぐそれはこの亜熱帯の海域ではさほど珍しくない。二メートルのそれがいるというのはまだ成体の群れが近くにあるのだろうと簡単に推測できた。ルイはロベルトに海図で地形を探らせた。
海の凪具合と天候からみて、この一海里あたりは格好の餌場になるだろうと読んだ。
ピーターはゾクゾクした。普通の鮫ならともかく、やつらは獰猛であることぐらい知っていたのである。
カークは作業を急がせた。クルーの命は宝以上に大事であったのだ。
鮫をやり過ごして、埋まっているだろうそこへ赴いた。
「カーク見てくれ……」そういってピーターに手招きをして、気になる場所を指差した。
画像に映るそれは砂地埋もれているのではなく、岩礁が左舷にがっしり食い込んでいるようにみえた。長い年月と水中の流れの影響でここまで流された結果、やがてこの場所にうずもれたようである。
カークはすぐにクレーンを下ろす作業に入った。岩礁の一部を持ち上げて下の空洞を広げようというのである。
皆が手伝って錨のようなものをシュウのいる辺りの下げた。
「シュウイイカ、ソイツヲウマイコトガンショウノキレコミニイレテ、ハサマセテミルンダ。アトハコッチデヒキアゲル」
作業はうまくいった。白い石灰質の水埃を巻き上げて岩礁が砕け落ちた。しばらくすると水の色が落ち着く。透明度が戻るその中に、消された記憶を開放するかのごとくうずもれた船尾が、現れたのである。シュウは高まる心臓の音を響かせて見下ろした。小魚やうつぼが驚いて浮いてきた。それが、シュウの目の前を勢いよく飛び出して、ピーターの身体の周りをくねらせながら逃げていった。
シャフトの辺りが海底についているようである。エンジンを切ったロベルトも画像に釘付けとなった。
すぐにシュウは全長を調べ報告した。
カークは頷き、船の側面か選手にどこかに曼荼羅のようなマークが掘られていないか探させた。すぐにそれは見つかった。フジツボが付着する甲板の真ん中辺りに胎蔵曼荼羅が略式で描かれていたのである。シュウもこの旅の前にカークから読まされていた本の中にそれを見て知っていた。
「マチガイナイ、レイノレックダ。トウソウジニナンパシタ。『山からの王』ソノタカラガアルハズ」
西暦700年代後半、シャイレーンドラ王家はボロブドゥールとして残っていた遺跡。宝はその王朝の廟にあったとされる三界の思想をモチーフにした版画のことであった。
カークはその版画を保存したとされる頑丈な箱を探させた。
船室が見えた。
中はかなり痛んでいる様子である。寝室の床板は全て取り外されていた。おそらく、沈没と同時に浮き上がってしまったのであろう。船底に優に入ることが出来た。シュウはこの傾き方からもし残っているのであればかなりしただろうと考えた。耳抜きを更に慎重に施して沈む。
後からピーターもついてきた。少しミシミシ響く。先ほどの碇で崩れた部分に不安定さを生んだようである。回りを確かめながら行くと、狙い通りのものがあった。
画面をみるや、カークは「ブラボー」と手を叩いた。そしてすぐにピーターをあげさせ、ロープを下に送り込ませた。
こうしてトレジャーハントの仕事が始まったのである。 人気ブログランキングへ