『坂道』
上れば下る。登っても降りる。UPとDOWNはよく人生に例えられる。
少しいぢわるにみるならば、人生はのぼりしかない。理由は片道だから。
上にいって下へ降りるという一連の流れは、同じところに戻ってくるという意味合いではなく、目的を達成するという最初と最後を象徴するわけである。
だから、人生の目的の達成とは死しかないのであればUP&DOWNはないのである。
言ってみればUPし続けるだけなのだ。DOWNを見た人がいるならば一度ゆっくり話を伺ってみたい。おそらく、今世紀最大の小説が書けそうだ。
ただ、その過程の起伏はあるだろう。気分の浮き沈み。前を向いて進んでいても、気持ちが萎える時はある。立ち止まる時もある。そして「よし」と奮起して進むのだ。それは生きているからこそのUP、DOWNだ。
男が感じてその人生の岐路に立たされた時、ふと坂道の位置を確認しようとした。
今はどの辺なのであろうかと。
この坂を行くべきか、別の坂に行くべきか。
辛く急な坂で、暑さにめげず進むときはそのようなことは考えず、とにかく足を前に蹴りだすことだけに気力を使っていた。
少し余裕が出来たり、周りに人がいなくなると寂しくなって立ち止まる。
そして登ってきた坂の上から下を見下ろしてどうも間違いじゃないかと不安に駆られる。
今もそうだ。人が生きるという漠然とした、先人の通った道を疑わず進む。
それは男にしかない道であり、誰もが折り重なって歩む道である。
自分の道には他の者は通らない。透けた人間が通るだけである。
だから手を繋ぐことも、一緒に呼吸することもない。
そんな道は自分が通るべき道なのであろうか。
声は聞こえる。応援される。それもテレビの画面のように映る男の道を傍観するから聞こえるだけなのだ。決して男のその道の上に立ってではない。手を繋ぎ一緒に並んで歩む道にいるならば、そのものに問うことはできよう。しかし、それがありえないからこそ戸惑うのである。
その昔、自転車で本州や四国を回ったことがある。その時感じたのは、何故こんなことをするのだろうかということであった。
自分で思い立ったことではあるが、やめることはいつでも出来た。
しかし、断念などの選択はしなかった。がむしゃらに走ったのである。
不安や余裕を生みたくはない。ただひたむきに走る自分の姿をいつしか思い出すはずだと信じて走った。
若かったからではない。男が完走出来たのは、今の自分を見据えてである。これから先の自分に期待したからである。
そんな自分を楽しませる坂が男は好きであった。
