小説そのうちでます-せみのぬけがら


『油蝉の抜け殻』


脱皮というのであろうか。少し違和感のある表現だ。

カニや蛇やトカゲ。そうした類のものはより大きなものになるためにきつくなった服を脱ぎ捨てるというもの。

そういう主旨が見て取れるが、セミの場合には蝶のさなぎから出てくるのと同様の主旨がある。

大きくなるというのではなく変化を遂げるということだ。

全く形が異なるもの。


男は下町は葛飾区出身だった。

いわゆる心郷(ふるさと)がそこである。

そして思い出したことがあった。

小学生の夏の盛り。宿題も程ほどに、虫取り網を持って外に出た。

木々が多く残るそこはセミの恰好の住処である。

ニイニイゼミ、ハルゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクホウシが毎年出る。残念ながら、平地なのでヒグラシはいない。

それでも虫取り網の柄を更に継ぎ足して長く伸ばしたものを使い、あちらこちらの木からセミを捕まえていた。

専ら胸元が大きく張りあがったオスだけだ。

メスはすぐに逃がすのである。


1時間もすると大分林からセミの声が消えた。代わりに、おびただしい数のそれが虫かごの中にひしめいていた。

もう良いだろうと自宅に帰る男は、得意げな顔をしていた。

何をすると言うのであろうか。


麦茶を飲み干すと、自分の部屋に入った。クーラーがよく効いていて一気に汗がひく。

そしてカーテンを閉めた。電気もつけないその部屋は、ひっそりとした夏以外の空間であった。

そして、一気に虫かごを開け放った。

セミはけたたましい声をあげて一斉に飛ぶ。

あるものは天上に、またあるものはカーテンに。散り散りににげたのである。

男はカセットを開けて空のテープを差し込んだ。

約20分部屋から出たのである。


部屋の中では様々な鳴き声が響いていた。セミの鳴き声。ただそれを自分の物にしたくてこのようなことをしたのだった。



あれから大人になり、里山に暮らす男は、ヒグラシの声をきき、アブラゼミの抜け殻をみておもった。

やはり、ヒグラシが好きだと。


脱皮はしていない。殻も破ってはいない。人の心の成長とは、所詮変わりえない部分があるのだと今更ながら感じたのである。