いつもcucuru.のブログにご訪問くださり
ありがとうございます。
さて、今日の記事は、ちょっと長くなります( ´艸`)
私の過去や赤裸裸な思いが綴られていますσ(^_^;)
お時間をとってしまって、申し訳ありません。
先日の「イベント出展のお知らせ(追記) 」にまた追記しました。
12月19日(土)「ララカフェ(宇都宮市下荒針町)」で開催の
「もみのき市inララカフェ」にも参加することになりました。
このイベントは、友人の小山由美さん 主催のイベント。
このイベントに参加するということは、私にとって、
過去と現在がつながる「必然」と思える流れなのです。
今からさかのぼること約5~6年前、2010年1月、
私は、人生の大きな転機を迎えていました。
「3人の子どものお母さん」から「働くお母さん」になるべく、
履歴書を何通も送る日々。そんな私につながったご縁が、
某フリーペーパーの読者ライターのお仕事でした。
取材、写真撮影、原稿書き、編集室のお手伝いetc、
望めば望む分だけお仕事に恵まれ、
「やりたい」と「やれる」が同時に叶った時でした。
小山由美さん と出逢ったのも、この頃です。
当時由美さんは、すでに、アクセサリー制作や音楽活動、
そしてイベント企画などで、とにかく忙しい方でした。
たしか初対面の時の会話は
「アクセサリーをつくってるんですよね?素敵ですね^^」
「占いができるんですよね?今度みてほしいです^^」
みたいな感じでしたでしょうか。
由美さんは覚えていないかもしれませんが(笑)。
由美さんはその後、この5~6年でますます活動が盛んになり
今では寝る間を惜しむほどのご活躍ぶりです。
私はというと…やっと出合えた仕事のはずが、現実は厳しく、
取材先から怒鳴られ営業の方と謝りに行ったり、
ひとつの情報のために何時間も歩いたり、
何度も原稿を書き直して睡眠時間を削る…などなど、
時には涙を流すような日々を送っていました。
それでも、みんなで一つのものをつくるという仕事に
やりがいを感じていました。
「好きな仕事をしている」という思いから、
涙を情熱に変えられていたのだと思います。
でも、そんな、やりがいをもって過ごしている時に
不思議な選択肢が私の目の前に現れます。
「今のまま進む?それとも占いをする?」
というような場面に遭遇するのです。
私は、家族や友人、友人のお知り合いの方々のあいだでは
「占いが好きな人」という位置づけの人間でした。
悩みや決断の相談を頼まれればすぐに「しらべるよ~」
と気軽に受け、たくさんの方と交流してきました。
自己紹介も「占いできます(´∀`)」でしたしね。
さかのぼれば…
小学生の時、
お小遣いで初めて買った本は「12星座占い」でしたし、
中学生の頃は、
お友だちの恋の悩みを占いを使ってアドバイス、
高校生の頃には、
初めて手にしたタロットカードで
「目に見えないことを目に見えるもので視る」という
不思議な経験を多少積み、
四柱推命に出合った20歳の頃には、当時の彼とは
別れる運命だと気づき愕然としたりなんてこともありました。
結婚の時期も、自分で「良い時期」を選びましたね。
出産後、
子どもをとおして出逢ったお友だを占う時は、
子どもを抱っこしていたり子どもの荷物もあることから、
「(タロットや四柱推命のように)荷物や資料が不要」と
身軽にできる手相も勉強。
今思い返しても自分で驚くぐらい
私の人生のそばには常に「占い」があったように思います。
周囲は「占いを仕事にすれば?」と言ってくれていましたし、
思い立って「占いの館」のような場所をたずねれば
「あなたは占い師になる人」と
行く場所行く場所で言っていただいていたのですが、
私には「ものを作る仕事がしたい!」という思いがあったので、
占いは「好きなこと」であり、「コミュニケーションの一環」
であることに変わりはなかったのです。
なのに、そんなせっかく出合えた読者ライターのお仕事の場でも
不思議なことに、占いのお仕事のご縁が生まれるのです。
「イベントに出れる占い師を探しているのだけど出れない?」
と編集室からのお誘い。イベントに出ることになったのです。
「なったのです」とはいっても、今思えばそれは、
「自分の選択(占いでイベントに出る)」であったわけですが。
「占いは仕事にしない」と思うのとはうらはらに
その後少しずつですが、占いのお仕事が増えていきました。
そして改めて考えたのです、
「私の仕事はなんだろう…もの作り?占い?」と。
そんな中で迎えた2012年の年末、あるイベントに参加。
場所は、ララカフェでした。
そして、そこで、打ちのめされるようなことが起きるのです。
それは「“人の人生を視る”という覚悟が整わないまま
占いをするのはやめなさい」という警告のような体験。
結局、悩みながら、覚悟が足りないまま続けていた占いは、
そのイベントを最後に、ひと区切りをつけたのでした。
…なのに!です。(苦笑)
そのイベントから約半年後の2013年の夏、
読者ライターの仕事にも行き詰まり悩んでいた頃、
「すごいスピリチュアルカウンセラーがいる」と
友人からある方を紹介され、出逢い、
占いの世界に戻ることになるのです。
それがサトウアケミ先生 です。
「今までどこかで何度もお逢いしてるわね。あなたが
同じステージに来てくれたから、こうして逢えたのよ」と、
逢って間もなくにかけてもらった言葉は今でも覚えています。
アケミ先生と出逢ってから、さらに、
占いの仕事が増えることになりました。
それでも、頑固者の私は、
なかなかクビを立てにはふらなかったのです。
「覚悟」は、その時の私には難しい決断でした。
そんな私をアケミ先生は、いつもそばで応援し続け、
何度も「覚悟」ということを伝え続けてくれていました。
そんななか、
2014年1月、私の母が倒れそれまでの優先順位が全て変わり、
生き方を見つめ直す機会が訪れました。
2015年1月、それまでの環境に限界を感じた時、
驚くほど多くの「たまたま」が起こり、事態は大きく動きます。
そして、アケミ先生と出逢って2年もしない、
2015年4月、
私は、占いカウンセリング・レンタルスペース・雑貨販売のお店
「cucuru.」をオープンすることになったのです。
お店をもつの機に、読者ライターの仕事や、
それまで関わってきた様々な活動に区切りをつけました。
どの場面でも仲間に恵まれ、それゆえに手離せずにいましたが、
関わった全てにおいて「やりきった」という思いがあったので、
潔く新しいステージに上がる決断ができたのだと思います。
そしてなんと言っても、
「美樹さんにだから相談したくて」「ありがとう」という
お客さまの声に逆に私が救われ
「覚悟」が整ったように感じます。
今日までの全てに感謝です。
ありがとう
由美さんとは、お店をオープンしてほどなく再会。
私は、12月に何件かイベントを予定しましたが
由美さんのイベントとはかぶらず参加できることに。
あの「占い師をあきらめた場所」での再びの機会は、
私にとってとても大きなこと。
「あの日の私」をすくう(救う)日でもあり、
新たな一歩の日なのかなとも感じています。
由美さん、ありがとう

人は、迷ったり疑ったり、
時に手離すこともありますが、
それが自分自身に必要なものであれば、
たどり着くべき時にたどり着くものであり、
戻るべきタイミングで戻ってくるものなんだと思いました。
恐れることはなくてもいいのかもしれません。
置いてきたと思った過去であっても
必要であれば現在でつながるのですから。
かなり長い文章になりました。
最後まで読んでいただきありがとうございました
cucuru.コトノハ美樹
ありがとうございます。
さて、今日の記事は、ちょっと長くなります( ´艸`)

私の過去や赤裸裸な思いが綴られていますσ(^_^;)

お時間をとってしまって、申し訳ありません。

先日の「イベント出展のお知らせ(追記) 」にまた追記しました。
12月19日(土)「ララカフェ(宇都宮市下荒針町)」で開催の
「もみのき市inララカフェ」にも参加することになりました。
このイベントは、友人の小山由美さん 主催のイベント。
このイベントに参加するということは、私にとって、
過去と現在がつながる「必然」と思える流れなのです。
今からさかのぼること約5~6年前、2010年1月、
私は、人生の大きな転機を迎えていました。
「3人の子どものお母さん」から「働くお母さん」になるべく、
履歴書を何通も送る日々。そんな私につながったご縁が、
某フリーペーパーの読者ライターのお仕事でした。
取材、写真撮影、原稿書き、編集室のお手伝いetc、
望めば望む分だけお仕事に恵まれ、
「やりたい」と「やれる」が同時に叶った時でした。
小山由美さん と出逢ったのも、この頃です。
当時由美さんは、すでに、アクセサリー制作や音楽活動、
そしてイベント企画などで、とにかく忙しい方でした。
たしか初対面の時の会話は
「アクセサリーをつくってるんですよね?素敵ですね^^」
「占いができるんですよね?今度みてほしいです^^」
みたいな感じでしたでしょうか。
由美さんは覚えていないかもしれませんが(笑)。
由美さんはその後、この5~6年でますます活動が盛んになり
今では寝る間を惜しむほどのご活躍ぶりです。
私はというと…やっと出合えた仕事のはずが、現実は厳しく、
取材先から怒鳴られ営業の方と謝りに行ったり、
ひとつの情報のために何時間も歩いたり、
何度も原稿を書き直して睡眠時間を削る…などなど、
時には涙を流すような日々を送っていました。
それでも、みんなで一つのものをつくるという仕事に
やりがいを感じていました。
「好きな仕事をしている」という思いから、
涙を情熱に変えられていたのだと思います。
でも、そんな、やりがいをもって過ごしている時に
不思議な選択肢が私の目の前に現れます。
「今のまま進む?それとも占いをする?」
というような場面に遭遇するのです。
私は、家族や友人、友人のお知り合いの方々のあいだでは
「占いが好きな人」という位置づけの人間でした。
悩みや決断の相談を頼まれればすぐに「しらべるよ~」
と気軽に受け、たくさんの方と交流してきました。
自己紹介も「占いできます(´∀`)」でしたしね。
さかのぼれば…
小学生の時、
お小遣いで初めて買った本は「12星座占い」でしたし、
中学生の頃は、
お友だちの恋の悩みを占いを使ってアドバイス、
高校生の頃には、
初めて手にしたタロットカードで
「目に見えないことを目に見えるもので視る」という
不思議な経験を多少積み、
四柱推命に出合った20歳の頃には、当時の彼とは
別れる運命だと気づき愕然としたりなんてこともありました。
結婚の時期も、自分で「良い時期」を選びましたね。
出産後、
子どもをとおして出逢ったお友だを占う時は、
子どもを抱っこしていたり子どもの荷物もあることから、
「(タロットや四柱推命のように)荷物や資料が不要」と
身軽にできる手相も勉強。
今思い返しても自分で驚くぐらい
私の人生のそばには常に「占い」があったように思います。
周囲は「占いを仕事にすれば?」と言ってくれていましたし、
思い立って「占いの館」のような場所をたずねれば
「あなたは占い師になる人」と
行く場所行く場所で言っていただいていたのですが、
私には「ものを作る仕事がしたい!」という思いがあったので、
占いは「好きなこと」であり、「コミュニケーションの一環」
であることに変わりはなかったのです。
なのに、そんなせっかく出合えた読者ライターのお仕事の場でも
不思議なことに、占いのお仕事のご縁が生まれるのです。
「イベントに出れる占い師を探しているのだけど出れない?」
と編集室からのお誘い。イベントに出ることになったのです。
「なったのです」とはいっても、今思えばそれは、
「自分の選択(占いでイベントに出る)」であったわけですが。
「占いは仕事にしない」と思うのとはうらはらに
その後少しずつですが、占いのお仕事が増えていきました。
そして改めて考えたのです、
「私の仕事はなんだろう…もの作り?占い?」と。
そんな中で迎えた2012年の年末、あるイベントに参加。
場所は、ララカフェでした。
そして、そこで、打ちのめされるようなことが起きるのです。
それは「“人の人生を視る”という覚悟が整わないまま
占いをするのはやめなさい」という警告のような体験。
結局、悩みながら、覚悟が足りないまま続けていた占いは、
そのイベントを最後に、ひと区切りをつけたのでした。
…なのに!です。(苦笑)
そのイベントから約半年後の2013年の夏、
読者ライターの仕事にも行き詰まり悩んでいた頃、
「すごいスピリチュアルカウンセラーがいる」と
友人からある方を紹介され、出逢い、
占いの世界に戻ることになるのです。
それがサトウアケミ先生 です。
「今までどこかで何度もお逢いしてるわね。あなたが
同じステージに来てくれたから、こうして逢えたのよ」と、
逢って間もなくにかけてもらった言葉は今でも覚えています。
アケミ先生と出逢ってから、さらに、
占いの仕事が増えることになりました。
それでも、頑固者の私は、
なかなかクビを立てにはふらなかったのです。
「覚悟」は、その時の私には難しい決断でした。
そんな私をアケミ先生は、いつもそばで応援し続け、
何度も「覚悟」ということを伝え続けてくれていました。
そんななか、
2014年1月、私の母が倒れそれまでの優先順位が全て変わり、
生き方を見つめ直す機会が訪れました。
2015年1月、それまでの環境に限界を感じた時、
驚くほど多くの「たまたま」が起こり、事態は大きく動きます。
そして、アケミ先生と出逢って2年もしない、
2015年4月、
私は、占いカウンセリング・レンタルスペース・雑貨販売のお店
「cucuru.」をオープンすることになったのです。
お店をもつの機に、読者ライターの仕事や、
それまで関わってきた様々な活動に区切りをつけました。
どの場面でも仲間に恵まれ、それゆえに手離せずにいましたが、
関わった全てにおいて「やりきった」という思いがあったので、
潔く新しいステージに上がる決断ができたのだと思います。
そしてなんと言っても、
「美樹さんにだから相談したくて」「ありがとう」という
お客さまの声に逆に私が救われ
「覚悟」が整ったように感じます。
今日までの全てに感謝です。
ありがとう

由美さんとは、お店をオープンしてほどなく再会。
私は、12月に何件かイベントを予定しましたが
由美さんのイベントとはかぶらず参加できることに。
あの「占い師をあきらめた場所」での再びの機会は、
私にとってとても大きなこと。
「あの日の私」をすくう(救う)日でもあり、
新たな一歩の日なのかなとも感じています。
由美さん、ありがとう


人は、迷ったり疑ったり、
時に手離すこともありますが、
それが自分自身に必要なものであれば、
たどり着くべき時にたどり着くものであり、
戻るべきタイミングで戻ってくるものなんだと思いました。
恐れることはなくてもいいのかもしれません。
置いてきたと思った過去であっても
必要であれば現在でつながるのですから。

かなり長い文章になりました。
最後まで読んでいただきありがとうございました

cucuru.コトノハ美樹
