『蜘蛛の糸』を読んで | シングルトン

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   今回、私は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』という作品を読んだ。この作品は極楽にいるお釈迦様が、地獄にいる男で、昔、クモを殺さないでやったことを思い出し、お釈迦様がこの男を極楽に招こうとして、クモの糸を地獄まで垂らすものの、招こうとした男以外の地獄の人間たちもクモの糸を使って極楽に行こうとしたため、クモの糸が切れてしまい、男は結局極楽に行けなかったという話である。
   私がこの作品を読んで思ったのは、この作品に出てくるお釈迦様は、人を殺し、家に火をつけたりと多くの悪事を働いた男を、ただ道端にいるクモを殺さないだけでなぜ助けようと思ったのかだ。それなら、地獄にはもっと極楽に行けなかった善人に近い人がいるのではないかと思った。
   それに、お釈迦様なら極楽に行けるクモの糸を垂らせば、結果的にほかの人も行こうとして切れてしまうことは予想できたはずである。作品には、男が自分ばかり地獄から抜け出そうとして落ちたことを、お釈迦様は浅ましく思ったとあるが、たかが道端にいたクモを殺さなかっただけの男に、地獄にいるほかの人を気遣った上で、極楽に行く器量は期待できないはずである。
   ただ、お釈迦様は全て予想でき、わかった上で、クモの糸を垂らしたのではないかとも思った。少しでもいいことをしたなら、誰にでも一度は平等にチャンスが与えられるべきだとお釈迦様は考えたのかもしれない。もし、そうであるなら、お釈迦様がクモの糸を垂らしたのも納得ができたが、どうせなら、もっと善人に近い人にクモの糸を垂らしていいと思った。