さっき、にゃあとお別れしてきました(T_T)

不思議なもので、死んだ瞬間は
「あ、死んじゃった」
って思って、にゃあだった体がもうにゃあじゃなくなった気がしたんです。
なんというか、にゃあから、にゃあだったモノになった、というか。
だから、亡骸は燃えるゴミとかに出してもかまわないぐらいの気持ちでした。
もう死んでるんだから。痛いとかないんだから。これはもうにゃあじゃないんだから。…そういう気持ちでした。
でもまぁそれはヒドイと思って、火葬場に連れていくことにしました。
月曜日に死んでしまったのですが、車が借りられるのは水曜日だったので、2日間箱に入れておくことにしました。
そして、箱に入れようとした時から、「これはもうにゃあじゃないんだから」の気持ちがなくなったのです。
「にゃあちん、こんな寒いところでごめんね」 ←腐るといかんから、一番寒い部屋に置いてあったのです。
と話しかけたり。さっきまでの「にゃあじゃない感」がどこかへ行ってしまいました。
もう死んでしまったのに、何度も何度も撫でに行っては、話しかけて涙して。
でも、フツーはそうですよね。私はなんで死んだ瞬間に「これはもうにゃあじゃない」って思ったのかな…?
さっきも、火葬場に向かうために家を出る時に
「にゃあちん、行こうか」
って言ったら泣けて泣けて(笑)

車に乗せて火葬場まで運んでいた時に、にゃあが家に来た時のことを思い出しました。
まだOさんと暮らしていた時です。
BUCK-TICKファンの友人が「知り合いの家に子猫がたくさん生まれて引き取り手を探してる」と言うので、見に行きました。
同じような柄の子猫がたくさんいて、私は
「じゃあ、この子にします」
って言って、後日引き取りに行ったのです。
すると、「この子にします」って言ったのと違う子を渡されました(笑)
でも、受け取って顔を見て
「この子じゃない」
って返すのも可哀想な気がして、そのままもらいました。それが、にゃあです。
結果、超かわいかったので、良かったのですが(笑)
すごく小さかったので、ケーキの箱に入れて、車の助手席に乗せて、1時間ぐらいかな。
不安でずっと鳴いてて、信号で止まると箱の蓋を開けて「大丈夫だよ」って言って撫でて。
あーーーもーーー泣ける!!!(笑)
家に来て最初は、「ニャー」って鳴かなかったんです。
私たちのしゃべる言葉を真似しようとして、日本語をしゃべろうとしてたんです。
小さい時に引き取って人間の世界で生活してるから、自分が猫語をしゃべることわかってないんだ!と思いましたが、ちびはそんなことないので、にゃあの特性だったのかもしれません。
おしゃべりな猫だったし、私たちの言葉もたぶんある程度わかってました。
まだ動ける時なんか、私たちが「点滴」って言葉を言うと2階へ逃げてました。

にゃあの前も、何匹も猫飼っていましたが、自分の猫として飼ったのはにゃあが初めてでした。
それまでは家の猫、という感じだったので。
超人見知りで、知らない人が来ると絶対に顔を見せませんでした。
なので、実家にいた時は、彼が家に来ても猫を見かけないので、私の「猫飼ってる」っていう言葉は半信半疑だったそうです(笑)
いつ行ってもいないじゃん、っていうw
でも結婚して、にゃあと一緒に暮らし始めて、動物を飼ったことのない彼は初めはにゃあが歩いてるだけで「うわ!」って言ってたのに、今じゃ「ただいまだにゃん」と言うようになりました(笑)
人見知りだけど人間大好きで、私がこうやってPCでカチカチやってると、いつも腿の上に座っていました(T_T)
撫でたりブラッシングしたりも大好きで、すぐにゴロゴロ喉を鳴らしていました(T_T)
夜中、私の枕の横に座って、私の頬をチョンチョンって軽く引っ掻いて(笑)、私を起こすのです。
私が布団を持ち上げて「おいで」って言うと、中に入って私の腕と体の間、脇の下のあたりで丸くなって寝ます。
朝起きて、布団を覗き込んで、にゃあがクリッとした目で見てくるので「にゃあちんおはよう」って言うと、「にゃ」って言うのです。
私はなんて幸せなんだろうって、実感するのです。
こんなことが、何度もありました(T_T)
にゃあは私に、幸せいっぱいくれました。

ホント、こういうことがあると、死んだらどこに行くんだろう?って思いますね…。
無、だと思ってたけどなー。
そう思いたい部分もあるし、魂というか意識みたいのは残るとも思いたいです。
私が泣いてばかりいるので、娘は私が「うっ」ってなるとすかさずティッシュを持ってきて
「はい、どーぞ~!」
と言って渡してくれます(笑)
明るいわw
思わず笑ってしまうと、
「泣きながら笑ってるのおかしいじゃーん」
とか言います(^_^;)
えーっとそれ何だっけ?泣きながら笑ってる…あ空蝉か…なんて思い出しました(笑)
娘自身も悲しんでて、にゃあが入ってる箱を見るのが辛いと「この部屋のドア閉めてもいい?」と言ってきたり、「私、猫まあまあになっちゃった。大好きだったけど、にゃあちんが死んで、まあまあになっちゃった」と言ったりしています。
が、私の悲しみっぷりの方がヒドイので、どうやら慰めようとしてくれてるみたいで、時々おどけて笑わせてくれます。
昨日の夜も、私が
「めそめそしててごめんね」
と言ったら
「めそめそってなに?」
と聞いてきたので
「泣いてばかりいてごめんね」
と言い直したら、
「いいんだよ。泣いていいんだよ。私はおっかぁのことはいつでも許すからね。いつでも泣いていいんだよ」
と言われました(笑)

それにしても、久しぶりに純粋に「悲しい」で泣いてるなーと思います。
悔しいとか、後悔とか、感動じゃなく、悲しいって気持ちだけで泣くのってあんまり機会がないような気がします。
泣くのは悲しいからだけど、一番の気持ちは「ありがとう」です。
17年間以上も一緒にいてくれて。私に幸せいっぱいくれて。
なんで死んじゃったの!?とかは思いません。もう大往生だし。
でも、覚悟してたつもりだったけど、悲しいもんですねー(^_^;)
2年半前に点滴始めた時から覚悟してたし、ここ最近状態が悪くなってるのわかってたから「いよいよか」って思ってたのになー。
覚悟、全然足りんかったな(^_^;)
でも火葬場に持っていって、これで一旦落ち着いちゃうのかな…。
それも寂しい気がしますが。
でも、悲しいって気持ちは薄れても、ありがとうって気持ちは残るんだろうな~って思いました。