私が高校2年生ぐらいまで、母は小学校の教員でした。
そんなに田舎でもない市でしたが、私の通う小学校にも母を知っている先生がいました。
お偉いさんは、母を知らなくても父を知っていたり。
そういうのって、ちょっと窮屈なんだよね…(^_^;
私や妹が高校生の時に、私が自殺未遂をしたり、そこまでいかなくてもリスカしまくったり、妹が登校拒否になったり(本当はずーっと前からだったんだけど無理やり行かせてた)、自閉症と診断されたり…という、暗くて大変な感じになって、仕事を辞めました。
それからは、趣味を満喫していました。
油絵を描いてコンクールみたいなのに出したり、個展を開いたり。
童話を書いて児童文学の会みたいなのに入って、論評し合ったり。
(よく私に「今ちょっとヒマになったでしょ?小説でも書いてみなよ。児童文学の会に入る?」と言ってきます(笑)児童文学って…一部の方はご存知だと思いますが、児童対象はムリだと思います!)
そんな母が、依頼されて、1~3月だけ、小学校の教員をやることになりました。
私の通っていた小学校の、1年4組の担任です。(←こんな文章書いてるようじゃステキな小説なんてムリだよね。1文に「の」が3つ…。この場合は「私が」か「1年4組担任」にすべきだよね、きっと)
この1年4組…母が担任4人目なんです。
すごいでしょ?1年で4人も担任が代わっちゃうの。
それほど、問題クラスだということです。
母は、そうは言っても3ヶ月間だけだから…と言っていました。
が、2月の半ば、
「辞めようかな…」
と。
責任感がない人じゃないので、その言葉にビックリしました。
それぐらい、大変なようです。
クラスに1人や2人、問題児がいるぐらいならいいのですが、もっといるらしく…
こりゃ、辞めちゃうわ…と思ったそうです。
どんなクラスなんだろ~?
でも、実質あと1ヶ月ちょいだし…ということで、なんとか続けると言って、辞表だけ書いたまま提出せずに続けました。
それも、今日と明日の2日で終わりです。
毎日、娘の顔を見に来ていたのが、1月~はまったく来なくなりました。
それどころか、私がお風呂に入る間、娘を見ていてもらおうとした時も、ただいるだけ。
娘の方を見もしない。
ずっと仕事のことを考えてて、心ここにあらずって感じ。
そんな母を見て、
「そういえば、私が小さい頃も、母はこんな感じだったなぁ」
と思い出しました。
ずっと忘れてたのですが。
そういえば、いつもそうでした。
話しかけると
「うるさい」
と言われました。
全然、そんな時ばっかりじゃなかったと思うのですが。
一緒にお話したり、遊んだりしたこともあったと思うのですが。
でも、そんな感じでした。
私が、家計が苦しいのに働こうとしないのは、こういうこともあるのかも。
自分では、ただ単にラクしたいだけだと思ってるんだけど(^_^;
両立とか、ちゃんとできる自信は全然ないです。
けっこう責任感が強いので、仕事をしてしまったら、手を抜くのはきっと家事・育児の方になると思うし。
今でさえ、人並みの愛情をかけてあげられてるかどうかもあやしいのに(^_^;
仕事しちゃったら、後悔すると思うんだよね…。
なので、今生活費が足りなくて…ってわけじゃないから、いいか~と余裕かましてしまうんです(^_^;
母を責めるつもりは、全然ないんですけどね。
自分が母のようになるのかな~と思うと、それは嫌だなぁと思って。
やっぱり、仕事・家事・育児をすべてやってる人って、本当にすごいなぁと、改めて思いました。
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