時々、日本語の意味について調査がありますよね。
先日、新聞で「姑息」というのを大部分の人が「卑怯な」という意味に勘違いしている、という記事を見ました。
本来の意味は「一時しのぎ」だそうです。
私も「姑息」は「卑怯な」だと思ってました。
よく「正しい日本語」とか言いますが、私は、そんなんどうでもいーじゃん、と思います。
正しいと言っても、時代によって違うし、地方によっても違うし。
ずーっと同じ言葉をしゃべってんなら、今でも「いとあはれなり」とか言ってないといかんし。
「蝶々」なんて、平仮名でどう書けばいいのかわからないし。
今でも「ちょうちょ」なのか「ちょうちょう」なのかわからないのに。
「てふてふ」とかになるんかな?
今だと、「私は」とかの「は」は「わ」と発音しますが、昔の表記だとそんなんめちゃ多いですよね。
「あはれ」だって、今だと「あわれ」ですよね。
今の方が便利で良いと思います。
英語は、そこらへんが進化しなかったらしく、例えば「BOOK」って「う」の発音なのに未だに「O」使ってますよね。
発音通りの表記にするなら「ブック」だから、「BUCK」じゃないか!
あれ?そうなると「バク」になっちゃう(*^_^*)
BUCK-TICKのこと「バックチック」と言う人いません?
あ、話逸れた…とにかく、日本語の昔と同じです。
表音文字のはずなのに、表音になりきれてないという…。
なので、日本語が変化していくのはいーじゃん、と思うのです。
不便なのは廃れていくし。
便利だから残ってくんだと思います。
あ、例えば、一時期問題視されていた「ら抜き言葉」。
「これ、食べれます」って会話ですね。
「食べる」の可能は「食べられる」なので、「食べれる」だと「ら」が抜けています。
でも私、「食べられる」って、可能もあるけど、受身もあるし、尊敬もあるので、ややこしいと思うんです。
「食べれる」って言うと、それはもう可能しか指さないので、そっちの方が便利だと思うんです。
…という感じで、言い方や表記や意味、どんどん変わっていっていいじゃん、と思います。
でも、そうなると、漢字の由来から離れちゃったりして、覚えにくいのもありそうですね。
逆に、ややこしくなったり。
「豆腐」と「納豆」なんて、今は「豆腐」が白くて四角いカタマリで、「納豆」がつぶつぶでねばねばのやつだと思ってますが、初めは逆だったんですよね。
豆が腐った「豆腐」が、つぶつぶでねばねばのやつ、豆を納めた「納豆」が、白くて四角いやつ。
逆になっちゃったけど、本来の方が覚えやすそう。
「新しい」とかも、うちんらは「あたらしい」って読むけど、初めは「あらたしい」だったし。
今は「新」って漢字を「新しい」の時だけ「あたら」って読んで、他の時は「あらた」って読むなんて、ややこしいことになってます。
「姑息」も、由来を知れば勘違いしなくて済んだかもしれませんね。
姑の息…なんかイヤだけど(-_-;
そういえば、以前、祖父母の家に親戚が集まって食事をした時のこと。
祖母が、ビールを飲む祖父に向かって
「そんなに飲んだら、えろうなっちまうで、やめとき」
と言いました。
その祖父母の子である父母の世代は「そーだよ~」なんて笑ってましたが、その子世代、つまり私やいとこたちは
「エロくなる!?90歳すぎたおじーちゃんが!?やめときって言われるほどエロくなるの!?」
とビックリしました。
「えろうなる」…祖母は「えらくなる」という意味で言ったんです。
「えらい」とは、体がだるくて辛い状態です。
飲みすぎると後々辛いよ、と注意したのです。
「エロくなる」って意味じゃなかった…(^_^;
良かった…。
一瞬後に気付いたうちんらも、苦笑い、でした。