今日の夕飯は、
鶏モモ肉・キャベツ・しめじ・ニンジンのクリーム煮
モロヘイヤ・油揚げの和風炒め
ピーマン・ナスのオイスターソース炒め煮ゴマ和え
味噌汁はシイタケ・豆腐・ワカメ
でした。
毎日、夕飯メニューを書いてみよっかな。
そしたら、少しははりきって作れるかもしれないから。
で…今日はなんか…グチです。
グチっつーか、暗くて長い吐き出しです。
ドヨーンとしてます。
それでも良かったら、どうぞお読み下さい。
ただいま、妊娠5ヶ月目の私…。
そのことについてテンションが低いってことは、以前書きました。
(9/25 最近泣いたのは…)
そもそも私、今までに「子どもがほしい」と思ったことがないんです。
どちらかというと、子ども嫌いでした。
でも、親友Oさんの子どもを見て「かわいいな」と思いました。
かわいいというより、愛しい。
たぶん、私が親友Oさんのことを愛してるから、その子どものことも愛しいと思えたのだと思います。
他の友人の子どもについては正直ほとんど興味がないのですが、「もし自分の子どもが産まれたら、とても愛しく感じるんだろうな」と思えるようになりました。
でも、所詮その程度。
「子どもがほしい」という気持ちに発展することはありませんでした。
そして、「子どもがほしい」と思ってもいないのに子作りすることに、なぜかすごく罪悪感があったのです。
命なのに、ほしくもない人が作って良いのだろうか、と。
極端なことを言えば、人間は、今の世代でもう終わりにしてしまえばいい、ぐらいに思ってて。
エコ活動とかするよりも、もう子孫を残さなければ、それが一番地球の為になるんじゃないか、とか。
ま、これは極論ですが。
基本的に、子どもを産む=良いこと、という図式が自分の中にはありませんでした。
戦時中じゃあるまいし、産めよ増やせよって時代でもないでしょ、みたいな。
少子化っつったって、世界の人口は増え続けてるし。
そもそも、日本の少子化を食い止める為に自分が子どもを作ろう!という気にはなれません。
産んでもらったんだから、命を次に繋げる義務がある、とも思えません。
なので、「子どもがほしい」という気持ちを持っていないくせに子どもを作るなんて、罪深い行為だという気になってました。
ほしくてもできない人もいるんだから、というのは納得できません。
それって、猫飼いたくても事情があって飼えない人もいるんだから一軒家の人は飼いなさい、と言っているようなもんだと思います。
だから、「子どもがほしい」と思えるようになるまで、子作りする気になれませんでした。
ところが…
やっぱり、私の両親も、夫の両親も、孫ができるのを今か今かと楽しみにしていて。
周りの人も、遠慮がちに「まだ?」と聞いてきます。
最初のうちは「1年は作らないって決めてるんです」とか言ってました。
そのうち「そろそろ、と思ってますけど」ぐらいな感じで。
3年を過ぎると、もう言い訳ができなくなってきました。
「なかなかできないんです」と嘘をつくのも心苦しい。
だって、本当にできない人はとっても辛い思いをしてるから。
かといって、正直に「まだ子作りしてません」と言っても、「なんで?」と聞かれます。
結婚したら子作りするのが当然、という考えがやはり多くて。
「ほしくないから」なんて、人間失格みたいで言えません。
親には、不妊治療の病院を紹介されました。
実際は、基礎体温さえ測ったことがありません。
というか、結婚してからもゴム付きで、避妊していました。
子ども、できるはずがありません。
そのうち、夫が、「子どもがほしい」というようなことを言い始めました。
私の気持ち(タバコをやめたくないという気持ちも含)をわかっているので、はっきりとは言いませんが。
そして私も「子どもがほしい」という気持ちになるまで待つと、いつになるかわからん…
というか、一生そんな気持ちにならないだろう、と思い始めていました。
そして、夫の職場は、1年に一人ぐらい死亡しているという危険なところです。
もし今夫がんだら、子作りしなかったことを後悔するだろうな、と思いました。
で、去年の9月からタバコをやめられて。
私がほしくなくても、夫がほしいと思ってるのなら、作ってもバチは当たらないだろうなと思い、今年に入ってから、子作りすることにしました。
でも、毎日基礎体温測ったりするのは面倒なので、生理と生理の間、ここらへんかな?というあたりで適当にやるだけです。
私のヤル気がないので、ボンヤリしてやらないでいたらいつの間にか次の生理が来た、という月もありました。
健康診断でX線を撮るからと、やらない月もありました。
まぁ、半年ぐらいはできんだろ、と高を括ってました。
しかし、3回目?か4回目?ぐらいで、できました。
自分で計算したら、予定日が3/7で「!」ってなりました。
「3/7…3/7…」と思いながら、居間のテーブルの周りをグルグル回ってしまいました。
が、実際は2/14でした…。
どんな間違いしたんだ?私。
早生まれは年齢の計算が面倒でイヤだなぁと思ってたのですが…まさかこんなに早くできるとは思ってなかったので…。
できたらできたで、愛情が芽生えてくるだろうな~なんて楽観的に考えてたのですが、未だに愛情湧かず。
心音が聞こえた時には「神様、ごめんなさい…お腹の子よ、ごめんなさい…」と思いました。
妊娠を告げた人には、「おめでとう」と言ってもらえ、「おめでた?」と聞かれたりして。
子どもを産むことの、新たに人間をこの世に生み出すことの、どこがおめでたいことなんだろう?と、その表現に違和感を感じながら、今に至ります。
周りの人たちに喜ばれる分、申し訳ない気分になります。
祝福される度に、こんな気持ちの自分に嫌気がさします。
「ようやくできたんだね、良かったね」というような言葉には、曖昧に頷いておきます。
自分の、あるいは自分の周りの人の、不妊に苦しんだ体験を話してくれる人もいます。
すみません、ただ作ってなかったんです、できなくて苦しんでもいないんです、むしろソッコーできたんです、作りたくなかっただけなんです、夫がほしいと言うから仕方なく作ったんです、今でもこんな私がこんな気持ちで妊娠だなんて良かったのだろうかと思ってるんです、とは、もちろん言えません。
早く芽生えないかな~私の母性…。
他の人みたいに楽しみにならなくてもいいから、せめて罪悪感は脱したい…。
喜べない自分に、また自己嫌悪…。
ひどい自己嫌悪だよ、消えたくなる気分だよ~~~この世のすべてが嘲笑う~~~だって。
…ヒドイ歌詞ですね。
あ、フールズ立ち読みしました。
なんか…ヒデが笑える…w
べつにおもろいこと言ってないんだけど…笑えるwww
(え、私、フールズの感想↑だけ?)