日本には、妊娠5ヶ月目の戌の日に、腹帯を巻くという習慣があるそうです。
ということで、時志観音というところへお参りしてきました。
(腹帯とともに安産祈願をしてもらって、その腹帯を巻くのです)
祈祷の予約はいるのか、とか、場所はどの辺りだろうか、とか、いろいろ調べていて、実際お参りに行った人のブログも読みました。
一番最近泣いたのは、そのブログを読んでいる最中です。
みんな、とっても嬉しそうで、赤ちゃんを待ち望んでいました。
無事に産まれてくることを祈ってました。
楽しみにしていました。
赤ちゃんグッズを買ったり、産まれてくる赤ちゃんのために何か作ったり。
検診の様子もブログに載せたりしていて、「動いてる様子がカワイイ」とか、胎動に感動して仕事中の夫にメールしたとか…。
その幸せそうな様子に、どんどん心が沈んでいき、涙が出てきました。
あまりにも、私のテンションと違う…。
私だって、もちろん、無事に産まれてきてほしいです。
でも…。
未だに、命をつくった責任というか、重みというか…。
こんな私が、新たな命を生み出して良いのだろうか、と。
そして、こんな私が、無事出産できるはずがない、と。
そう思ってしまうのです。
…今更だし、すっげーネガティブでしょ。
そして、あまりに興味がない。
先日、二人の子持ちの友人宅へおじゃまして、話していた時のこと。
友「もういろいろ買い揃えた?」
私「え、まだ何一つ買ってない」(だって、面倒だもん…)
友「もう名前とか考えてる?」
私「まったく考えてない」(だって、性別わかんないし)
友「どんな子が産まれるんだろう?楽しみだね~」
私「…」(興味ねー…)
腹が出てくるのだって、ただどんどん不便になってくばっかりで、幸せ感とか、まるで無し。
まったく楽しみでもなく、興味もないと言う私に、友人たちは
「心音が聞こえたら、きっと気持ちも変わるよ」
「お腹大きくなってきたら、きっと自覚出てくるよ」
「胎動感じたら、きっとカワイイと思えるよ」
と、慰めてくれました。
が。
6月に心音が聞こえて。
感動はしました。
感動というより、腹の中に確かに命があるってことに、すっげー怖くなりました。
先月あたりから、腹も出てきました。
太ったのもあって、重くて不便です。
自分の体が自分じゃなくなっていくようで、正直とてもイヤ。腹毛すごいし。
そして、ついに。
先週の金曜日から、胎動を感じ始めました。
…。
カワイイ?見えないのに??
にゃあとちびの方が、よっぽどカワイイけど?
だって妊娠5ヶ月なのに、今一番楽しみにしてるの、BUCK-TICKのライブですよ。
出産予定日より、初ライブの日をカウントダウンしてるんですよ。
あと22日であっちゃんに会えるんですよ。
こんなことばっかり考えてるんですよ。
たまごクラブだって、読んだの最近だし。
しかも、音楽雑誌のついでに、立ち読み。
エコーの写真も、ファイリングしてるの夫だし。私は見返しもしない。
母親として、どうよ?
その前に、人として、どうよ??
と、思うわけです。
こんな私の腹の中に、懸命に育とうとしている命があるなんて、申し訳なくてしかたがない。
こんな私が母親だなんて、産まれてくる子に申し訳ない。
というか、こんな私なので、無事に産まれるはずがないと思ってしまうのです。
基本、そういう気分なので、みなさんの素直で健全なブログを読みながら、泣きました。
アホか私…。
あ、でも、産まれたらちゃんと育てますし、たぶんカワイイとも思えると思います。
そこらへんは、心配してないです。
ただ、みんなすっげー楽しみにしてんなぁ…と思って。
私…不安や心配しかないけど…いいんだろうか?こんなことで。
「楽しみ」って気持ちは、ライブに取られてしまっているんだろうか?
じゃあ、年末のライブが終わったら、急に赤ちゃんに会えるのが楽しみになったりするんだろうか??
…なワケないよね。
だんだん、そういう気持ちが芽生えるのを待つしかないか。