子どもの頃、[手のひらを太陽に]という歌を習いました。
今更ですが・・・この歌詞、微妙~・・・。

だって、
「ミミズだって オケラだって アメンボだって
 みんなみんな生きているんだ 友達なんだ~」
ですよ。
命はみな平等だと。

そう子どもに教えておきながら、蚊やハエやゴキブリを叩く。
え? ミミズとオケラ(オケラってなに?)とアメンボは人間と同じ尊い命だけど、
蚊とハエとゴキブリの命は違うの?
蚊やハエやゴキブリの命は、尊くないのか。
同じ命じゃないのか。
子ども心に、とても疑問でした。
花は大切にするのに、その為に周辺の雑草をむしり取る。
・・・ソレとソレって、同じ命じゃないの?

子どもの頃は、単純に疑問でした。
大きくなるにつれて、矛盾を感じました。

1匹の蚊と自分の夫の命、同じ重さじゃありません。
私にとって。
同じ種類の生物の中だってそうです。
ウチのにゃあと隣の家のネコでは、命の重さが違う。
私にとって。

これなんです。 私は、「私にとって」なんです。
質量も体積もない「命」なんて、重さもなんも量れません。
所詮、主観でしか決めるしかない。
だったら、重さに違いがあるに決まってます。

それなのに、さも全ての命の重さが同じであるかのように錯覚させる[手のひらを太陽に]
主観しか持ってない子どもにこれを習わせるって・・・誤解されると思うのですが。
この歌を習って、子どもが「私にとっていろんな命はそれぞれの重さがあるけれど、
絶対的な重さはみんな同じなんだ」と思いますかね・・・。
たいていは「命の重さはみんな同じなんだ!」と思いますよね~。

ところが、実際は「人間至上主義」ですよ。
人間に不要なものや不快なものは、ためらいもなく殺されますよね。
いくら綺麗事を言ったって、人間サマサマだもの。
全ては、万物の霊長を気取る高級なサルさんたちの尺度によるのだと思います。

だったら、初めから「命の重さは平等」などと教えてくれなきゃよかったのに・・・と思います。
べつに「人間に不要なもの不快なものはどんどん殺せ」という教えを被りたかったわけではありません。
現実とは違う理想論をピュアな心にわざわざ刷り込まないでほしかったのです。

今もこの歌、子どもに習わせてるのかしら?
てゆーか、この解釈自体が、誤解かしら・・・???
 
てゆーか・・・ヒデのインタビュー読んだならその感想書けよ私・・・。