BUCK-TICKファンにとってはおなじみの「愛」と「死」についてですが・・・
普段の生活で、この2語を同列に扱うことって、ないですよねぇ?
「愛」とよくペアで使われるのは・・・
「愛だとか恋ならいらない」のように、「恋」とか・・・
「胸にLOVE&PEACE」のように「平和」とか・・・
あと、「情」とか?
少なくとも「死」と類似させたり対比させたりすることはあまりないと思います。
動詞にしても、「愛する」「恋する」というのはよく一緒に使われますが
「愛する」と「死ぬ」が同列にあることはまずありませんよね。
「死ぬ」や「死す」に対比するのは「生きる」や「産まれる」であって、「愛する」が
出てくることはあまりないと思います。
名詞の「死」にしたって、対する言葉としては「生」や「在」・・・。
類義語では・・・「無」とか?
少なくとも「愛」と繋がることはないと思います。
その、同列になり得ない2語をもって、「人生は愛と死」と言い切るのって・・・すごい。
だって、その一言は、結果、とてつもなく強いメッセージになっているのだから。
「人生は愛と死」「俺たちは愛と死」・・・こう繰り返すことによって、「愛」と「死」が
結び付いていく。
初めから寄り添っているかのように。
いかにも対照であるかのように。
そして、私は妙~に納得してしまうのです。
人生というのは・・・「愛」と、「死」である、と。
しかし、それを力強く、断定的に歌い上げるのが、櫻井さん・・・。
・・・この、パラドックス!
私は「死」を忘れる日はありません。
でも、常に近くにあるものでもありません。
(なんせ、祖父母が4人ともまだ健在しているという健康家系です)
その距離感は、「愛」も同じです。
・・・というか、私にとってその2語に共通するものといえば、その距離感しかありません。
その「愛」と「死」について、私の知る中で誰よりもこねくり回して考えているのは・・・
やはり・・・櫻井さん。
今となっては「愛と死」というと、今井さんのイメージですが・・・。
パッと思い浮かぶだけでも
「赤い葡萄酒をやろう 愛と死の香り漂う」(真夏の夜の森)
「愛と死の匂いは」(サファイア)
「愛と死 激情が」(極東より愛を込めて)
と、櫻井さんもこれまでに同列扱いしてきています。
(パッと思い浮かぶだけでコレだから、ちゃんと探せばもっとありますよね、きっと)
彼らにとって、この2語は「同列であってしかるべき」なのでしょうか。
というか、この対照的な見方の二人を「彼ら」とまとめてはダメ?
でも、対照的なはずの二人の方が、同じことをしたりするのです。
この(同列になり得ない2語を同列として扱う)ように。
・・・不思議。
普段の生活で、この2語を同列に扱うことって、ないですよねぇ?
「愛」とよくペアで使われるのは・・・
「愛だとか恋ならいらない」のように、「恋」とか・・・
「胸にLOVE&PEACE」のように「平和」とか・・・
あと、「情」とか?
少なくとも「死」と類似させたり対比させたりすることはあまりないと思います。
動詞にしても、「愛する」「恋する」というのはよく一緒に使われますが
「愛する」と「死ぬ」が同列にあることはまずありませんよね。
「死ぬ」や「死す」に対比するのは「生きる」や「産まれる」であって、「愛する」が
出てくることはあまりないと思います。
名詞の「死」にしたって、対する言葉としては「生」や「在」・・・。
類義語では・・・「無」とか?
少なくとも「愛」と繋がることはないと思います。
その、同列になり得ない2語をもって、「人生は愛と死」と言い切るのって・・・すごい。
だって、その一言は、結果、とてつもなく強いメッセージになっているのだから。
「人生は愛と死」「俺たちは愛と死」・・・こう繰り返すことによって、「愛」と「死」が
結び付いていく。
初めから寄り添っているかのように。
いかにも対照であるかのように。
そして、私は妙~に納得してしまうのです。
人生というのは・・・「愛」と、「死」である、と。
しかし、それを力強く、断定的に歌い上げるのが、櫻井さん・・・。
・・・この、パラドックス!
私は「死」を忘れる日はありません。
でも、常に近くにあるものでもありません。
(なんせ、祖父母が4人ともまだ健在しているという健康家系です)
その距離感は、「愛」も同じです。
・・・というか、私にとってその2語に共通するものといえば、その距離感しかありません。
その「愛」と「死」について、私の知る中で誰よりもこねくり回して考えているのは・・・
やはり・・・櫻井さん。
今となっては「愛と死」というと、今井さんのイメージですが・・・。
パッと思い浮かぶだけでも
「赤い葡萄酒をやろう 愛と死の香り漂う」(真夏の夜の森)
「愛と死の匂いは」(サファイア)
「愛と死 激情が」(極東より愛を込めて)
と、櫻井さんもこれまでに同列扱いしてきています。
(パッと思い浮かぶだけでコレだから、ちゃんと探せばもっとありますよね、きっと)
彼らにとって、この2語は「同列であってしかるべき」なのでしょうか。
というか、この対照的な見方の二人を「彼ら」とまとめてはダメ?
でも、対照的なはずの二人の方が、同じことをしたりするのです。
この(同列になり得ない2語を同列として扱う)ように。
・・・不思議。