3回目!
やっと最後まで『オペラ座の怪人』を観ることができた。
満足である。
映像も美しかった。
初めて観たのは東京公演。
出産後、仕事に戻って余裕なく働いている私に職場の先輩が
「たまには旦那さんにお子さんを預けて」と誘ってくださった。
夫に相談すると、初めての外出許可を貰えた。
実は出産半月前に、いきなり義理両親が引っ越してきて同居を始めた。
寝込んでいたら引っ越しトラックが家の前に着いて、いきなりタンスやら食器棚を運び入れ始めた。
誰からの荷物なのかも分からない。
間違いですよ、と言っても引っ越し屋さんたちは「いえ、住所ここになっています。」
色々と問い合わせたりして2時間たった頃、手を振りながら道の向こうから義理両親が歩いてきた。
結婚式以来、会うのは3回目だけど間違いない。
「今日からここに住むから。」と宣言された。
人生であれほど驚くこともそうそうないだろうと思うよ。今でも。
結婚と同時に二人で買った新築一戸建て。
約束ではどちらかの親が一人になったら引き取って同居することになっていた。
夫は一人っ子だけど、私だって長女で跡取りだ。
唖然とする私を尻目に、引っ越し業者に指示を出す義理両親。
ちなみにいきなりの同居の理由は、仕事と住むところを同時に失ったからと姑から説明された。
さらに舅が先物取引で数千万円を失ったらしい。
二人で住み込みでしていた仕事も、舅が普段からトラブルが多かったため切られてしまったそうで。
そー言えば、結婚式のときに親戚のおじさまから、
舅には気をつけなさい。何かあれば相談に来なさいって言われたけど、そーゆーこと?
そんな義理の両親との生活は、まるで監視されているような感じだった。
挙げるときりがないのだけれど、、、
学生時代からの友人との付き合いはすべて切られた。
近所のママ友から電話があっても、私は居ないと電話を繋いでもくれない。
仕事の飲み会も、友人の結婚式も行かせてはもらえない。
唯一、1年に1回だけ会社の忘年会だけ許される生活。
友達とも会えなくなった。
毎日正座して2時間、舅の話を聞く。
切迫早産でドクターからは自宅安静を申し付けられているがとても休めない。
姑は全く料理が出来ない人だったからだ。
料理などしたことがないのだから仕方がない。
もちろん、出産して自宅に戻ったその日から、料理は私だ。
産後でも誰も労わってなどくれない。
熱が出て寝込もうが看病など誰もしてくれない。放置される。水だけでしのいだ。
そういえば、激痛でどうしようもなくて救急車を呼んでほしいと頼んだら断られたこともある。
翌朝這うようにして病院に行って「よく我慢しましたね。遠慮せず救急車を呼んでください。」と言われて涙ぐんだ。
ここに居るといずれは衰弱ししちゃうんじゃないか?
命の危険を感じはじめた。
友達に助けを求めても、同居しているのに?と不思議そうな顔で聞かれる。
こんな実情、誰にも話せない。
話したと分かればもっと扱いが酷くなるだろう。
夫とはかなり年齢が離れているので、義理の両親は大正時代の方々だ。
「女が働くなんてみっともない。恥ずかしくないの!?」
「学校の先生や医者ならわかるけど。以前息子がお付き合いしていた人は・・・。」と、
夫がこれまで結婚しようと義理両親に紹介した方々のことを初めて知った。
「あなたの妹さん先生だったわね。息子の嫁には妹さんの方がよかったわ。」
時代が違うから、考え方や常識が異なるのは仕方がない。
そして、どうやら元々の生活レベルも違っていたようで・・・。
舅の実家は広大なお屋敷に住み込みのお手伝いさんが3人。
厩(馬や)もある。
庭木の手入れだけでも年に3回、庭師を雇って大変だと言っていた。
11人兄弟の3番目だそう。
陸軍大尉とか最高裁の裁判長とかそうそうたる親族がいたそうな。
結婚前にうちの両親がこの実家に挨拶に行った時に、
なんと身分が違うからと一歩もお屋敷には入れてもらえなかったと聞いた。
まだ、日本には身分制度があったんだな。一部。(笑)
その奥さんになった姑の実家もすごいわけで。
乳母に育てらて、大正時代になんと東京の女子大を卒業している。
お嬢様なのだ。
その姑が涙をポロリとこぼしながら言う。
「お前のような平民の女と・・・。
昔は下女は台所で食事をしたものです。私たちと同じ食卓につくなんて。
ああ、日本が戦争に負けさえしなかったら。」
農地改革で多くの土地を小作人たちに渡すことになり、生活は一変したそうだ。
商売を始めて上手くいった親族もいるが、舅はそういったことが出来なかったそうで。
気の毒としか言いようがない。
どこまでが本当かわからないなーって聞き流していたけれど、
お墓参りに行ったら、住職さんが転がるように出てきて低頭。
家の成り立ちなども話してくれた。
うん、本当だった。
だから、私が平民の友達を家に連れてくることが許せない。
もちろん付き合っている事も許せない。
仕事を辞めるように言いながら、生活レベルが落ちることを嫌がりお金を求めてくる。
矛盾だなぁ。
夫の要求もすごかった。
「毎日、手作りの弁当を作れ。おかずは最低9品。」
「はじかみ(お魚の横に添えるやつね!)がない。お皿はこれじゃない。」
料亭レベルの食事を要求してくる。
聞いて驚いたが、調理師がいたそうで、、、。
そりゃー姑が料理が全くできないわけだ。
落ちぶれてしまった自分たちの境遇を嘆く姿に、
時代に追いつけないまま年齢を重ねるとこうなるのかと反面教師として心に刻んだ。
時代が違いますよ。と伝えても分かってはもらえない。
夫+義理の両親の3人に対して、一人では反論しても耳を貸してはもらえなかった。
子育てしながら仕事をし、「下女」として扱われる毎日の中でやっとつかんだ息抜きのオペラ鑑賞!
オペラなんて初めてだ!
外出を許可してくれた夫に感謝しながら1歳の子供を預けた。
『オペラ座の怪人』は、それはもう素晴らしかった!
シャンデリアが本当に客席すれすれに落ちてくる演出。
生で聞くオペラ歌手の声量と素晴らしい声にうっとりだ。
幕間にロビーに出てお茶を飲み、子供が気になって電話してみる。
送り出してくれたはずの夫が豹変していた。
「すぐに帰って来い!子供がいるのに夜に外出するとは何事だ!」
子供が全然泣き止まず、外出した私が悪いと、3人の怒りの矛先は私に向かっていた。
そっかぁ。考えてみればそうだよね。
だって、だーれも子育て一緒にやってくれなかったから、懐いてないもんね。
泣いちゃったわけだ。
うん、離婚しよう。
さよならだ。
誘ってくださった先輩に謝って急いで劇場を出た。
最後まで観たかったなぁー。
素晴らしい舞台だったのに。
それからの私はいつでも家を出られるように常に荷物をまとめてベッド横に置いていた。
実家の両親に迎えに来てほしいとお願いしても、理由を一切話さなかったので無視されちゃった。
心配をかけたくなった。
そして私さえ我慢すれば、といつしか思うようになってもいた。
ズルズルと婚姻関係を続けながら、夫の転勤で仙台に引っ越した。
そんな思い出のある『オペラ座の怪人』を2回目に観れたのは仙台での仕事の関係だった。
今みなさんが座席予約をしているシステムのはしりを開発して、
ウキウキと会社の後輩と本当に座席が予約できるかなーっとクリックして盛り上がる。
予約してしまったのでキャンセルも面倒。
せっかくなのでその後輩と一緒に『オペラ座の怪人』を観に行くことになった。
やはり東京公演には及ばない。
こじんまりしちゃったなぁーと残念に思いながら観ていたら、お腹の調子がっ。
今回も後輩を残して、先に出る羽目になった。
一体、いつになったら最後まで観れるのか。
そんな長年の悲願を、今日達成!
舞台ではなく映画だけど。
辛かった日々を思い出してしまったら
冒頭のシャンデリアがよみがえるシーンでもう泣いていた。
早すぎる。(笑)
エンドロールを見ながら思う。
これでもう、本当にさよならだ。
前夫との地獄のような生活の思い出。
二度と、あんな風に自分を扱わないようにしないとね。
