昨日(日付的には一昨日)、せっきーに会ったとき、またトークショーで話してくれた内容。そして聖地・大室山での素晴らしいお話を再び思い出し考えていたのですが、やっぱりこのままではいけないなって、漠然とですが思いました。
歳を無駄にとるのではなく、一年一年なにか実になるものをひとつでもつかめたらと思います。
それがどんなに些細なことでも、人から見ればたいしたことなくても私にとっては重要なことを…
電車の中で熟読した中国の絵日記1巻にあった
「没有永遠的朋友、也 没有永遠的故人」
(遠と故の漢字が正確に出ず、多分これだろうという文字を当てはめました。
それにより意味が変わってしまったらゴメンナサイ…)
というページ。とても心に響きました。
もちろんどのページの絵も文字もいいのですが、なにか気になりました。
永遠の友もいないが、永遠の敵もいない…
正直、今まで仕事を辞めてしまった経緯や辛かったこと、そして私がいなくなってもなんのかわりもなく時間は過ぎ、私の頑張りはいったいなんだったんだろうとという失望感でいっぱいでした。
私のほうは毎日仕事を辞めてからも気になったし、悔しかったし悲しかった。
それを知らずか、関係ないことなのか去っていった人のことは忘れ去られていく…
それがどうしても私の中で理解できなかったし、納得できなかった。
私はこんなに思い苦しんでいるのに、なに平然とにこやかにやっているんだろうとか、被害妄想にも近い症状ですね。
でもそんなのは他人は気づくわけもないし、まして辞めた人間のことなんていちいち気にもしてられないでしょう。
そんなことで意固地になっている自分や殻から抜け出せない自分が嫌でたまらなかった。
どうしたらすっきりと吹っ切れるのだろうと思っていたとき、このページにたどり着きました。
完全に晴れたわけではないけれど、そういう考えを持っていれば気持ちが楽かもしれない。
変に人を憎んだりうらやんだりしてもはじまらないし、今向き合わなきゃ行けないのは自分自身なのだと。
零から再び始まるように、私も新しく一歩を出せたらなと思います。
まだまだ落ち込んだり、辛い日々もあるけれど、少しでもせっきーのように人に癒しを与えられる人になれればと。