今日の生中継は再三お伝えしてきたように(笑) 瀋陽からでした。

せっきーも元気そうでなにより(-^□^-)

羽織っていたニットのシャツ?がとても良いなって気になりましたが、もうそういう服を羽織らないとならない涼しい気候ですね。


さて瀋陽の街は予想以上に近代的でした。

まぁ、駅付近に限ってなのかもしれませんが、建設ラッシュで大きな店舗やビルがたくさん建っていました。

その中でも古い建物っていっていいのかな、瀋陽の駅舎。

日本が建設したという東京駅に似た駅舎です。旧・満鉄(満州鉄道)時代には多くの中国人や日本人で賑わっていたでしょう。


古いものがなくなり(壊され)、また新しいものが建っていく…

時代というものはそういうものなのですね。


今日の中継は母と一緒に見てました。

生まれた頃の記憶はないそうなのですが(生後1歳半くらいで引き上げてきたそうな)、やはり生まれた街ということで思い入れは強いようでした。

母が生まれた頃は満州国であり、瀋陽は「奉天/ほうてん」(字、あってるかな?)といい、前出に書きましたが多くの日本人が住んでいた街です。

おじいちゃん(母の父)は満鉄に勤めていたそうで、それで瀋陽に住んでいたわけですが、その当時からは遥かに進歩した街に変貌したでしょう。


すでにおじいちゃんは亡くなり、おばあちゃん(母の母)も6月に亡くなりました。

生きていればいろいろな話が聞けたでしょうが、それも今ではできません。


私が小さい頃、おばあちゃんから中国語で読む数字を教えてもらったことがあります。

母から聞くにはおばあちゃんは中国で通っていた女学校の先輩には、あの「李香蘭/山口淑子さん」がいらっしゃったとか。後輩に当たるそうです。


イー・アル・サン・スー…


もっともっといろんなことを教えてもらえばよかったなって思います…


旅の様子も万里の長城に行ったり(下る際に乗ったの乗り物が楽しそうだった)、海を疾走するモーターボートではしゃいで?いたり、楽器店を見つけて、急ぎ足になったり(笑)

いろいろなことがありましたよ。

秋編でもやっぱり楽器、買っちゃってました(笑)

何を買ったかはBS2、地上波観覧のみなさん、お楽しみに(o^-')b



機会があったら、絶対に瀋陽に行ってみたいと思いました。

母と一緒にね。