放射能 | 道標を探して

道標を探して

 ただ、そこに進んでみたい道がある。
 仰いで見たい空がある。
 踏んでみたい土がある。
 嗅いで見たい風がある。
 会ってみたい、人がいる。




結局さ、もうみんなどうでもいい感じになってるんでしょ?


そこで今更遅すぎのいいニュース

なんと様々な種類の放射能の基準が8倍以上に膨れ上がってます

何がって? 水道局に決まってるだろ

まあそれでも国際基準よりはしたらしいんだけどね

でさ、いきなりマイクロシーベルトからミリシーベルトになった時期があったでしょ?

多分だけど、あれが本当であってマイクロシーベルトは全部ウソな気がするんだよね

だって爆発してチェルノブイリ以下って有り得ないでしょ

どう考えても同等なくらいはいってるって

でね、なんでそういう考えがつくかって言うと、あそこの重役天下りの椅子でいっぱいなんだわ

で、同様に山削って作るダムもそう

地方の天下り先を作るため

しかも人為的に造ったから水位を計る全自動の水位計も堆積物で取り除かないと機能しなくなると


結局さぁ、人間が技術のみに走るといいこと無いんだよな

自然に生きてる日本人だ、技術以前にものの道理というものを理解せねばならんだろ

人も一カ所に集まるのではなくて本当に国と自分の安定を望むならば山と平地に現代日本の集落と呼べるようなものを作ればいいんだ

そうすれば自然と環境にも興味をもつようになるし、地方のような交通の不便もなくなる

今のはまだまだ日本自体の完成型には程遠いね

というかまだそういった点から考えたものなら江戸時代のほうが近かったんじゃないだろうか

学校だってそうだ、今の教育方針が違うと言うなら寺子屋的な少数日中限定のようなものにすればいい

進路希望だって年齢は関係無し、そうしたいと思ったらその場に行けるような…



って、話が飛びすぎだね

もう戻しようもないし、これで終わりにします





一言
春だね