つい買っちゃったよ、あの花ライター
アマゾンに売ってるから見に行ってみな、もうそろ在庫切れるから特価になってるんじゃないかな。
そうそう、あの花の雑感というか、感じたことをざざっと書いておこうと思ったんだった。
あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない
あの作品を見て僕が一番最初に何について思ったかというと、それは
業(ごう)
について
Wikiでは業のことを
業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われないもの
と書いているけど、僕は業っていうのは
自分が生まれてから死ぬまでに起こしてきた行動によって、自分自身が縛られてしまったり、取り払えない責任感を背負ってしまうという意味なんじゃないかと思う
「あの花」の作品を思い返してみて欲しい。
あの作品は主人公もほかの人も(当然超平和バスターズに限らず)、
みんながみんな、自分の行動責任を必死に取ろうとして、また、過去に行なった自分にしか解らないものへの柵を崩そうとして必死になっている。
まあ、結果的に、血の冷めた言い方をすれば、彼女の消失によって、あの世界の人々の業は浄化されるわけだ。
でも、それを通して我が身の周囲を振り返ったとき、俺たちの業は果たして生きている間になんとかなるものなのだろうか?
本来なら「あの花」の住人だってメンマの存在さえなかったら一生を自分の業に費やしていた可能性の方が高いのだ。
そして俺たちは、それぞれがそれぞれの重さの業に自分を潰されないよう、なんとか踏ん張って、水際で耐え続けている。
「あの花」を見て、俺は救われた。
あのアニメを見て、自分よりも辛く、重い業を背負っているものが世界にはいることを知った。
自分の業について、わからないというやつがいたら、そいつはそう考えることで耐えているのだろう。この世界で、決して逃げられないものが三大欲求以外にあるとすれば、それは間違いなくこの「業」以外に今は考えられない。
もう一度言っておく、豪の重みはそれぞれ違う。
そして、背負っていないものは、いない。
ただ、業に潰されたくない人は俺を含め、いくらかは存在しているだろうから、解決策を教えておく。
背負う重みは今より増えるが、最も持続性のあるひとつの方法を一つ。ちなみに俺はこれをまだ自分では行えていない。
周りの話を聞いて、「あの花」を見て、全て丈夫な人間たちはここに共通点があると確信した方法ではあるのだが・・・
その方法は
自分と業の根本的原因が共通している人間とつながりを持つ、ということだ。
「あの花」では、みんなが自分の背負っていたものを話した時に、やっとあのときから時間が動き出したようになった。
そして俺の覚えている
長い間仲のいい友人ペア・グループ13組は、必ず何か一つの、精神崩壊寸前になったの事件を暗黙の絆にしている。
・・・
悲しいよな、何が好きでこんなもん俺たちは死ぬまで抱え込まなきゃいけないんだよ。
手荒に扱ったら軽く半径10mは粉みじんにできる爆弾だぞ?
あ~
なんかどんどん哲学的思想になって終わりそうにないから、この辺りで切ることにする。
何も考えないで書くって怖いね。
一言
俺たちは一人で歩かなければいけない。
ただ、荷物は全部ひとりで背負い込まなくていい。
それは多分、確実だ。俺はいつも荷物を持つ側なんだけどなw
負けろ、へこたれろ。そう、それでいい。