67年前のこの日、原爆が投下された。
 
CUB主の母は、女子挺身隊として従軍、被曝しました。母17歳の時です。CUB主は被曝2世です。
 
この20年前くらいからは戦時中の話をしなくなった母ですが、自分が子供の頃は原爆投下後の広島の話をよく聞いていました。亡骸の山、皮膚の剥がれた被爆者、母は大きなダメージが幸いにしてなく、被爆者の支援に回る事ができたそうです。記憶に残っている話は、大やけどを負った子供を抱いた女性が挺身隊を訪れ、麦飯を分けて欲しいと言ったそうです。やけどに麦飯を貼ると効くと・・・(挺身隊とは、陸軍の炊事を担当していた)分けてあげたそうですが、母子のその後のことは分かりません。聞いた話の中で記憶に残っている話です。
 
昨年の原発事故、核の脅威を実感します。被爆国として忘れてはいけません。見えない放射線の恐怖、原発事故での被爆者及び、汚染地域に居住していた方々に対しても、広島、長崎と同様「被爆者健康手帳」の交付が必要だと思います。