荻上直子 監督
David Rendall Alex House Tatiana Maslany Masako Motai
トイレット
荻上監督作品好きです。
とくに “かもめ食堂” “めがね”
画面に出る(有る)空気感というか雰囲気というか独特のものがあって好きです。
好き嫌いはかなりハッキリと分かれるでしょうが、私はかなり癒される。
で、前作“めがね”から3年ぶりの荻上監督オリジナルストーリーの“トイレット”です。
「今日、ママが死んだ」
二男レイの語りからはじまる。
ママが遺したもの…パニック症候群で引きこもりの才能あるピアニスト兄モーリーと人を馬鹿にした目で見る自分探し中の妹リサ、大して大きくもない家と猫のセンセー。
そして……ママが死ぬ直前に日本から呼び寄せた“ばーちゃん”
かなり個性的、変わり者の兄妹である。
レイは「人生は退屈の繰り返し…人に迷惑を掛けない、掛けられない」 人と係わりを持ちたくないロボットおたく。
静かに退屈を繰り返しながら過ぎていくはずだった彼の人生はママが死んだことで否応無しに家族の面倒をみるという事で大きく変わっていく。
長男モーリーは亡き母の足踏みミシン(SINGERの足踏みミシン…懐かしいです)を見つけ、「どうしてもこのミシンで縫いたいものがある」と4年ぶりの外へ出ることをきっかけに変わっていく。
末妹のリサは自分探し中。「君はフェイクじゃない?」と聞かれて「違う」と言いつつも????? エアーギターコンテストに出て自分が自分である実感が欲しいと感じている(フェイクのギターを演奏して←エアーギター フェイクでない自分を見つける と云う事かな?)
そして“ばーちゃん”
最愛の娘(3兄妹のママ)を亡くし、憔悴しきっている。トイレから出てくる度に大きなため息をつく。
「どうしてトイレから出ると大きなため息をつくの???」レイの疑問は最後の方で解決しますが……
前篇英語のこの映画で3兄妹が「ばーちゃん」と呼ぶ響きが、英語の台詞の中でとても心地よい、温かな音に聞こえます。「ばーちゃん…」と彼らが話しかける当人のばーちゃんは全く英語が話せないのですが……
3人は「ばーちゃん、ばーちゃん」と話しかけ、その呼びかけはばーちゃんの心を次第に開かせて行きます。
厳しい、辛い表情が孫たちが成長する度に柔らかな穏やかな表情になって行きます。
“かもめ食堂” “めがね” では人と人の適当な距離感。あまり深く係わらない関係の心地よさのようなものが描かれていましたが、今回は家族(血縁関係では無くても一緒に暮らす人間同士、家族)の愛情、繋がりを描いています。
家族というのは血の繋がった人間の集まりではなく、互いに思いやり、労わり、愛し合っている人間の集合体。
もたいさんのばーちゃんは素晴らしいです。
台詞はただ一言、他はすべて無言。
家族に切れて爆発したレイ。ビールを飲んでいる彼に手製のギョーザを焼き、ご飯を添えて出してやる。レイにとっては餃子は母の愛。いつも美味しい餃子をつくってくれた母の思い出そのもの。
美味しそうに餃子を食べるその側でビールを飲み、タバコを吸うばーちゃん。
「タバコは良識の無い人が吸うものだよ」というレイに黙ってタバコを差し出す。
「そんな固まった狭い考えではダメ」というように… 彼の殻を破るように。
台詞(言葉)は無いのだけれど、ちゃんと通じている。
その存在感! ジタバタとしないどっしりと構えた、なんでも叶えてくれそうなばーちゃん。
大金の入った蛇皮の財布を持ち、真剣な孫たちの希望にそれと合った金額を出してくる。
どんな人生を送って来たのか?波乱万丈全てを乗り越えた余裕のようなものを感じる。
観終わって、ほんわかとして、ちょっと涙する作品です。
そう言えばウォシュレットは「日本の偉大なテクノロジー」だそうですょ。
ビックリ…
ウォシュレットを知らなかったレイに同僚のインド人がいかに日本のトイレは進んでいるか説明しますが、その時「だからアメリカ人は嫌だ。いつも自国が世界の中心で、他国の文化を理解しようとしない」と非難されるのは、かなり受けました。
うんうん…その通り!
