2月12日 午前9時48分

兄は私の、家族の手の届かない遠く、穏やかで静かな場所へと旅立ちました。



病気が解ったのが去年の今頃、すでに手遅れで手術もできず、約1年間の闘病でした。

まわりの人達に病気のことを知らせず、去年の11月下旬に入院するまで仕事もし、普通に日常生活をしていました。


私が見舞いに行くと具合が悪くても良くても『兄』で有り続けました。

具合の良い時は、仕事のこと、人づきあいのコツ(私が人づきあいが下手なのを良く知っているのです)、家族のことなどアドバイスを含めてたくさん話してくれました。

具合の悪い時でも私が行けば「元気の素が来たぞぉ~」と嬉しそうに声を上げ、手を握ってくれました。

兄は見栄っ張りでええ格好しぃでしたから、具合が悪いところを私に見せたくなかったのでしょう。

ひとり娘にも同じ態度でした。

良い父親の顔だけを見せていました。

ほんとうに良く頑張りました。


最後に見舞いに行った時、お粥を飲みこむのも辛い状態でしたが、必死に口に運んで食べてみせました。

「また来るからね」と声をかけて出口に向かったのですが、ベッドの淵に腰かけて私を見送っていた姿に何故か別れられず、再度「また来るからね」と顔を覗き込んで言ったら、右手を上げて「おぅ…」と笑って送り出してくれました。

これが最後になりました。

容態が急変して病院に呼ばれた時には、もう意識が無い状態でした。

「おにいちゃん」と呼んだら「おう…」というように僅かに口を動かして返事をしてくれました。

そして娘が「パパ大好きだよ」と言ったその言葉に送られて、そのまま静かに逝ってしまいました。



とても年が離れていたことも有り、非常に兄の影響を受けて私は育ちました。

音楽、映画、本、楽器… 

ドーナツ盤のレコードやLP、EP(これは同居していた年上の従兄の影響もあるのでしょうか)、映画雑誌やミュージックライフといった音楽誌、ギターがところ狭しと並んでいました。

私は小学校低学年にして、ビートルズやローリングストーンズを聞き、アラン・ドロンの映画を見ていましたし、ブリジット・バルドーの美しく長い脚と豊な胸に目が釘づけになっていました。

シャーリー・マクレーンの大ファンで「彼女こそチャーミング」と耳にタコができる位聞かされました。

マイ・フェアレディーのサントラ盤を聞かせてくれて、ミュージカルの楽しさを教えてくれたのも兄です。

アンディ・ウィリアムスショーやトム・ジョーンズショーを夜遅くに2人で見たのは懐かしい思い出です。

今、私が舞台や映画、いろいろなジャンルの音楽が好きなのは兄がいたからこそです。


私の自慢の兄でした。


「おにいちゃん」

耳に心地よく、甘く響くことばです。

もうこう呼べる人は居なくなったんだと… 泣きながら書きました。