12月30日 山谷にて炊き出し

山谷というまちは、かつて家族がたくさんいる
にぎやかな街でした。
しかし、1964年から1965年にかけて
当時の、都知事が都営住宅にうつるよう指示し
多くの家族が引っ越して行きました。
山谷のまちに残ったのは、労働のにないてである
男性でした。
この頃から、男性が女性に比べとても多く、
高齢者が多いまちとなりました。

不景気で派遣切りという言葉を多く耳にするように
なった現在、山谷のまちをはじめ
多くの人々が、ホームレスとよばれる生活を送っています。

そこで、炊き出しという「共同炊事」がはじまりました。
ここでは、共に生きていくということが実践されていました。
食事を与える人、受けるひとという区別はなく
誰もが平等に扱われていました。

わたしたちは、簡単な説明を受け、よりあいに参加しました。
よりあいでは、その日の献立や、行動の予定、注意等の連絡を受けます。
献立をきいたあと、それぞれ分かれて準備に取り組みました。
野菜をきったり、ご飯をたいたり・・・
魚や野菜は、寄付されたものが多く、本当に多くの人が協力しているのだと思いました。
一緒に作業した人たちは、誰がホームレスで誰が協力をしに来ているひとなのかよくわからないくらいでした。
そのため、境界線をひくことのがあまりなく、何の偏見もなく多くの人とかかわる事が出来たと思います。

参加者の中には、大学の教授、牧師さん、海外で活動している方、大学生の方
さまざまな人たちがいて、多くの情報も得る事ができました。
先日は、山谷の炊き出しで出合ったことがきっかけで、大学生であるUさんに心理学自殺学という題材で授業をしていただきました。
(その勉強会の内容は、また後日更新したいと思います。)

山谷の炊き出しで学んだことは、やはり私たちは同じ人間であり
平等で必要最低限度の生活を営む権利があるのだから、安全で人間として生きていく環境がつくられなくてはならないと認識しました。

そして、ここで行われていることは、ただ食事と寝るところを与えるというだけではなく,一緒にこれからどうしていくのかを考えるという活動を行っていました。

やはり、その時は食事をとれ、寝る場所を与えられ・・・でいいかもしれませんが
一番大切なことは、自立し、自分の力で生きていけるようになることだと思います。

就職難であり、不景気が続く状況において、私達には何ができるでしょうか

暖かい場所で、おいしいご飯が食べられる人たちがいるなか
寒く凍え、つらい思いをしている人たちがいるということを覚えておかなくては
ならないと思いまいた。

そして、彼らは決して弱者ではなく同じ人間なのだということも

山谷に参加したことで、彼らから多くの事を学ぶことができました。


世界に目をむけると同時に、足元からみていこうと改めて感じました。


よく学び、多くの知識を得たいとおもいます・・・



momo
最近質問が多かったので返させてもらいます!

以前も載せましたが消えてしまったのでまた・・

pcのみですがカシシ子供の家を支援する会というところに
服を送ることができます。
山谷の炊き出しで出会った方が運営しています。

これもpcのみですが
靴はスマイル・アフリカ・プロジェクトというところに
送ることができます。


なかなか送るのは難しいなと思う方は
ctwから提案ですが古着買い取りに売り
そのお金を募金するのはどうでしょうかスヌーピー

いつも皆さんlinkをありがとうございます(^O^)

もっと小さい画像のバナーが欲しいとゆうリクエストがあり
トライしたのですが‥
自分的納得いきませんでした‥(-_-)

なので画像を作ってくれる方を募集してますo(^-^)o笑

もし作ってくださる方がいましたら
作る前にメールを下さい!

お願いしますm(__)m
お知らせ

お久しぶりです
ももりな管理人二人共
高校を卒業し、春から
大学生活を送ることに
なりました。
これからは、一層
活動範囲を広げ、視野を
広く持ちやっていこうと
思うので、これからも
よろしくお願いします


今まで書いていたrecordは
不具合を生じ、記事が
消えてしまいました
ですから、今度からは
こちらで更新していこうと
思います。



サイトをみてくれている方
リンクしてくれた方
メールをくださった方
本当にありがとうございます。
何か案やアドバイスが
あればよろしくお願いします。

これからもよろしく
お願いします