あなたが疲れている状態の人を演技すると言ってみよう。

そのキャラクターを演じるために
疲れている体の状態を作ろうとするなら
そのような身体と呼吸状態を作るために神経が分散するだろう。

でも、もし実際にあなたの体が疲れていたら?
分散された神経を完全に目標のために使うことができるだろう。

疲れている人の演技をする前に
全力疾走をするか、スクワットをするか、体を疲れさせろ。

空腹のホームレスの役割ならどうだろうか。
昼ごはんをお腹いっぱい食べた後に
空腹状態を想像力で作り出すのが簡単だろうか。
それとも実際に飢えた状態で役割に取り組むのが簡単なのだろうか?

あなたは食べ物を食べる満足感を得るか
リアルな演技をする満足感を得るかを選択しなければならない。

リアルな演技をしたいくせに
体と精神を作る努力をしない人が意外と多い。

それは、この作業が面倒で大変な作業だからでもあるし
ドラマチックな結果を期待することが難しいからでもある。

でも演技の大家たちはなぜそんなに
自分を追い詰めてまで体を作るのだろうか。

それは小さなディテールの違いが結局
莫大な完成度の差をもたらすからだろう。

よく演技をしながら状況に集中しろと言う。
正しい言葉だ。
状況に完全に集中してリアルに感じたら
それに合った真実の演技が出るからだ。

同じ脈絡で状況を無理やりに作ってしまうと
与えられた状況をより実感できる。

たとえあなたが体の状態を作るために100の努力をしても
それによってプラスされる演技的成果は1かもしれない。

効率は完全にハズレだけど
効率だけを考える怠け者俳優にリアルな演技はできない。