人の資質の中で最も重要なものを挙げろと言われたら、
謙遜ではないかと思う。

ここで言う謙遜は
自分をむやみに過小評価するのではない。
今が完璧だからといって留まるのではなく
もっとよくなると信じる心だ。

もっと学んで、もっとたくさん研究して
もっと挑戦する気持ちが人には必要だ。

成功した人々はいつも研究を怠らない。
今いる席に上がったということに満足せずに
再び挑戦を繰り返す。

高い成功を成し遂げたが結局不幸になる人々は
「満足」したからだ。

これはまるで物価が上昇するようなものだ。
10年前の1万円の価値と現在の1万円の価値。
10年後の満員の価値は
同じ1万円といっても差がある。

今得た知識とスキルをもっと発展させなければ
結局、インフレによってオールドに変わってしまう。

世の中の正解は時間が経つにつれて変わる
特に今この時代は変化が本当に速い時代だ。

いつも満足しないでもっといいことから学んで
より良いことのために挑戦して研究しなさい。

役者といっても違わない
新しい作品に入ると
もっと学べることを見つけて、直接実行してみなさい。

以前のやり方をそのまま持ってきて使うな。
それがたとえ昔、良い結果をもたらしたとしても
無条件にそれよりもっと進むことができる。

たまった水は腐るということを肝に銘じなさい。

 

 

 

あなたが疲れている状態の人を演技すると言ってみよう。

そのキャラクターを演じるために
疲れている体の状態を作ろうとするなら
そのような身体と呼吸状態を作るために神経が分散するだろう。

でも、もし実際にあなたの体が疲れていたら?
分散された神経を完全に目標のために使うことができるだろう。

疲れている人の演技をする前に
全力疾走をするか、スクワットをするか、体を疲れさせろ。

空腹のホームレスの役割ならどうだろうか。
昼ごはんをお腹いっぱい食べた後に
空腹状態を想像力で作り出すのが簡単だろうか。
それとも実際に飢えた状態で役割に取り組むのが簡単なのだろうか?

あなたは食べ物を食べる満足感を得るか
リアルな演技をする満足感を得るかを選択しなければならない。

リアルな演技をしたいくせに
体と精神を作る努力をしない人が意外と多い。

それは、この作業が面倒で大変な作業だからでもあるし
ドラマチックな結果を期待することが難しいからでもある。

でも演技の大家たちはなぜそんなに
自分を追い詰めてまで体を作るのだろうか。

それは小さなディテールの違いが結局
莫大な完成度の差をもたらすからだろう。

よく演技をしながら状況に集中しろと言う。
正しい言葉だ。
状況に完全に集中してリアルに感じたら
それに合った真実の演技が出るからだ。

同じ脈絡で状況を無理やりに作ってしまうと
与えられた状況をより実感できる。

たとえあなたが体の状態を作るために100の努力をしても
それによってプラスされる演技的成果は1かもしれない。

効率は完全にハズレだけど
効率だけを考える怠け者俳優にリアルな演技はできない。

 

 

 

良い俳優になるための演技訓練 [20.動きを活用する]

先日非言語的な手段が
会話にどれほど重要なのかを話した。

演技で「動き」はキャラクター性を表すのにも良く、
多彩な演技を作るのに大きな役割を果たす。

たとえば自信に満ちたようなことを言っているが
実際は焦るキャラクターを演じると言ってみよう。

経験の少ない俳優は
焦るような震える声と
不規則な呼吸を真似るだろう。

しかし老練な俳優なら
声も表情も何気なく自信があるように見えるけど
テーブルの下では足を震わせる演技をすることもできる。

平凡な会話をする場面でも
水を飲む動きだけで
感情状態を表現することができる。

演劇の場合は
動きをもっとたくさん使わなければならない理由がある。

それは、微細な表情と呼吸の変化は
観客に伝わらないからだ。

大げさな動きをする必要はない。
でも果敢に動きを入れてみるのは
演技のスペクトラムを増やすのに大いに役立つ。