人の期待に、どうしても応えられない
こうあってほしいと求められてるのに
そうできない
そんな時に感じる『無価値観』
こんなこともできないなんて がっかりだ
こんなこともわからないなんて がっかりだ
誰かにそんな言葉を投げつけられたこともあります。
自分で自分に そんな言葉を投げつけたことも あります。
だから、
「わたしにこれほどまでに価値がない、役に立たないのなら、
存在している意味もない。
人をがっかりさせるだけの価値しかないのなら、
存在している意味もない。」
私は透明人間なんじゃないか?
そう思い悩んだことも、自分の存在を確信できなかったことも、よくありました。
さかのぼって振り返れば
それは「お母さんの期待に応えられなかった」こと
お母さんをがっかりさせた罪悪感
お母さんをがっかりさせて、突き放された孤独感
これらが強烈に根付いているのですね
だけどこれは、遠い昔に親に植え付けられた【私以外の人の価値観】
この価値観は 手放していい
この価値観を 変更していい
もう 今の私には 私が存在してくれていることに感謝している
私にとって 私は宝物
あなたにとって あなたは宝物
そして 誰かの宝物だから![]()
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