今の自分じゃない私になりたい

二度と悲しくならない心が欲しい

だけど気分がとてもいい夜は

ずっとこのままでいたいなんて思う



月がどんな形に見えても

暗く音のない宇宙の塵の中

ぽっかり浮かんでる ただの丸い石で

すべてのほんとうの姿は多分そんなもの



メビウスの環のように

人生に表も裏もない

ただ時は流れ

私は私を生きる



演じたり見せかけたりを

繰り返してる

だけど必ず戻って来る

私は私自身に
人は

① 五感を通じて、何かを感じ取る。

② 五感を通じずに、何かを感じ取る。

②は五感を超える感覚、という意味(だと思う)で第六感と呼ばれている(霊感、霊性)。



①には、快感と不快感がある。

逆に言うと、本来快感と不快感しかないはずである。

感情は本来、快感と不快感しか感じないはずなのに、実際にはそれ以外の感情も存在する。

それは(不健全な)理性の仕業である。



例えば、誰かに何かを言われた(耳からの情報)。

その事に対して、不快感を覚えた(感情:実際には複雑な心境だが、一言で表すなら不快感)。

しかし、反論すると角が立つと思い(理性)、その気持ちを相手に伝えることはなかった。

この行動こそが、感情の抑圧である。



快感と不快感つまり感情が、ダイレクトに/ストレートに、相手に伝えられない/自分で認められないのはなぜか。

それは頭で考えたり、人の言ったことに流されたり、世の中の価値観を考慮してしまうから(知性)。

感情に対して良い/悪いの判断してしまうと、本来純粋な感情に対して、不純要素となる知性からの情報が混ざって、不健全な理性が形成される。

不健全な理性が感情を抑圧した結果、報復、妬み、恨み、嫉み、自傷、卑下、破壊など、あらゆる不健全な行動、在り方を生み出す。


以前のエントリーもあわせてご覧下さい。
世の中「ある」か「ない」かに左右されている。

拡大解釈すれば、「ある」はある以外に、モテる、痩せている、美顔、正しいなども含まれる。

当然「ない」はその逆。

「ある」か「ない」かの二元論といっても、そう遠くないような。



本当にそうか?と、最近思い始めている。

「ある」ってことは「ない」ってことじゃね?

物事を一方向からしか、一面からしか見ないから。

皆が同じような視点からしか、見ようとしないから。



「お金ないけど幸せ、お金じゃないから」と言いつつ、心ではやせ我慢してるなら、それも違う気がする。

光がある所には、必ず影ができるもの。

だから「ある」ならば、同時に何かが「ない」ことを生み出す。

「ある」に焦点をあて続けた結果が、今の世の中じゃなかろうか?



あなたの「ある」は、明日は「ない」かもしれない。

彼は「ない」からこそ、すごく大切な別の「ある」を手に入れたのかもしれない。

あろうが、なかろうが、ただ時は流れ、世の中は進み、人は産まれ、誰かが死んでいく。

あろうが、なかろうが、ただ今を生き、ここに在り、どこまでも自分らしく。