白隠さんは駿河の原宿(現在の静岡県沼津市原)の松蔭寺に住しておりました。

あるとき、村の娘が父なし子を産みました。

娘の父親は、だれの子かと問い詰めましたが、娘は頑として相手の男の名は口にいたしません。

しかし、とうとう耐えきれずに、白隠さんの子だとウソをついてしまいました。

父親が日ごろから敬愛している白隠さんの子であれば、許してもらえるだろうという娘の浅知恵でした。もちろん白隠さんは、身に覚えのないことです。

娘の父親は松蔭寺に駆けこむや、「この生グサ坊主!よくも娘をキズものにしたな。お前の子だ、受けとれ」と怒鳴りながら、赤ん訪を突き出しました。

白隠さんは何の言い訳もせず、「ああ、そうか」と赤子を受けとりました。



この日は飴湯や米の粉をといて与え、翌日からは村中を「もらい乳」して歩き回りました。

それまで、高僧・傑僧として尊敬されている白隠さん、一転してとんでもない破戒僧とさげすまれ、弟子たちはもちろん信者も離れていきました。

それにもかかわらず悠然ともらい乳して歩き、赤子を親身になって育てる白隠さんの姿に、当の娘のほうがこらえきれなくなり、ついに父親に本当のことを白状しました。

驚いた父親は、さっそく白隠さんに非礼をわび、赤子を返してほしいと恐るおそる申し出ましたこのときも白隠さんは

「ああ、そうか」

と、泰然として赤子を返したといいます。

白隠さんの心は、他人の子でも育てようとする慈悲にみちた仏性そのものであったといえましょう。



まさに泰然自若。

ありのままを受け入れる。

言うのは簡単だなあ。

僕なら自分の正当性を主張しちゃうんだろうな。

かっこわる!



人生なんてどっちに転んでも大して変わらない。

だったら、かっこいい生き方を貫きたい。

例え誰にも認められなくても、自分がカッコイイ!と思える生き方。

目指すだけなら、いいだろ?
安定を求めればもとめるほど、不安定になる。

不安定でもいいや!と開き直ると、安定する。

これが真理。



結婚したいしたい!と思うほど、できない。

こんな年齢になっても結婚できないなんて、一生独身で生きていってやる!と決意し、マンションの頭金を払った途端、運命の人と出会う。

こういったケース、よくあります。

求める心は執着心。

結果への執着、我執、小さな考え、近視眼的発想。

どうにでもなれ!は、その執着心を見事に手放す行為。

悟り、決定(けつじょう)。

結果への執着を捨て、我執を脱却したら、目的地に着いていた。



てことはだよ、追い求める結果に対して何が足りないって?

たった薄皮一枚の我執だよ。

この心の分だけ足りない、届かない。

まさかカーテンの向こうにゴールがあるなんて、思ってない。

むちゃくちゃ遠くにあると思って、どうやったら辿り着けるかと思い悩んでいる。



もし絶対安定を求めるのなら、絶対安定はない!と看破して、不安定上等!と歓迎して、幸も不幸もウェルカムよん☆と腹を決めちゃう。

そうしたら、絶対安定する。

想定外のイベントは起こらない。

全てが予定調和。

思い通りに人生が運び過ぎて、そういう意味で不安になるかも。

求めよ、そして捨て去れ、さらば与えられん!
オマエに出会うのは、突然の些細なキッカケだったりする。

他人とぶつかって納得いかない時とか、現れるよな。



オマエは、知らない間にオレの中で大きく育つ。

黒い肥料を大量に与え続けてしまったからなんだろうな。



オマエは、成長するともうオレの手に負えなくなる。

相手と仲直りしたいと思っても、オマエが邪魔で出来ないよ。



そんなオマエのこと、嫌いじゃないから安心してくれ。

未熟なオレだけど、オマエのおかげで達成できたことや、学んだことも多いからな。

それにオマエはオレだし、オレらしさだもんな。

これからも、よろしく頼むわ。


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