愚痴聞き屋なるものが流行っていると、テレビで知った。

あんまり愚痴は抱かない方なので、なぜ10分1000円も払うのか不思議に思って考えてみた。


なぜ愚痴を発散したくなるのか?


愚痴って他人に対して抱くものである。

あいつのここが許せない、彼女のこういうところ理解できない、会社や社会に納得がいかない。

じゃあその「あいつ」「彼女」「会社や社会」に対して、全員同じように思っているのか?

本人がそう思っただけだ。

そう思った自分は間違ってないよね?って同意を求める行為が「愚痴」であろう。


じゃあなんでそう思ったのか。

何かに対してある反応を示す。

これは本人の思考回路、エゴ、思いこみ、捕らわれ、つまり我である。

例えば「金持ちはみんな、多かれ少なかれ悪い事をして儲けている」と思いこんでいたら。

金持ちをみたら、「チェ!どうせ悪いことして儲けてやがるんだ。俺は全うに生きてるんだから、貧乏でも清らかなんだよ!」なんて思ったとしよう。

金持ちを見て全員がこのように反応するとは限らないが、、このように思う人がいたとする。


ここからが肝心。

金持ちに対して嫌悪感を抱き「貧乏でも清らかなんだよ!」と思った。

そこから、その人の思考回路や自分自身への思いが見てとれる。

結論だけ書くと「自分は悪いことして儲けている」と思っているのである。

あるいは「金儲けは汚い行為だ」かもしれない。

他人に対して何かを思うこということは、自分に対してそう思っているのとイコールである。


他人は鏡。


そう思うと、少しは他人に対してのストレスを軽減できる。

もちろん許せない他人を無理に許す必要はないが、怒って損するのは自分である。

怒らないにこしたことはない。


話が少し逸れた。

自分を見つめるとかって、自分を見つめようとして何も得られない人がいるけど。

自分を見つめるなら、日々自分が何を思っているのか、つぶさに観察すると良い。

自分が「何か」「他人」に対して思うことこそ、自分への評価なのだから。


神社に行くと、お社に鏡が置いてある。

三種の神器の一つ、八咫鏡を模したものだ。

あれには意味がある。

鏡に映る自分を見つめよ。

そして内在する「我」を捨てよ。

そんな意味だ。

鏡は 「か が み」 であり 「我」 を取ると 「神」 になる。

そんな意味だ。


愚痴の原因は他人じゃなくて、自分が直したい部分。

本人の思考回路、エゴ、思いこみ、捕らわれ、つまり我である。

愚痴ってスッキリはするけど、問題は解決はしない。

問題と思っている「彼のこんな性格は直してほしい」そのものが問題じゃなくて、そんな性格の彼に憤る自分が持っている「我」が問題なのである。

変える対象は他人じゃなくて、いつでも自分。

そして自分が変われば現実が変わる。

愚痴って格好悪い行為だと思う。

「自分は自分をこんな風に思っているんだよ」って、あからさまにする行為だから。