足利持氏 (1) | 中世史討論会

中世史討論会

日本の中世史について素人の視点から討論する材料を提供したいと考えています。将来的には、専門家の招聘や討論会の開催を目指しています。
なお、当ブログでは諸説あるもの含めて煩雑さを避けるため一つの説に拠っていますが、その辺もコメントしていけるとありがたいです。

足利持氏は第4代鎌倉公方で、第3代鎌倉公方である足利満兼の嫡男。足利尊氏からは5世代目に当たります。足利持氏は、関東において畿内に先駆けて戦国時代のきっかけを作った人物とされています。


足利持氏は応永5年(1398年)に誕生しましたが、応永16年(1409年)には父・満兼の死去に伴い11歳で鎌倉公方となりました。


ところが、応永22年(1415年)に持氏は犬懸上杉家の上杉氏憲と対立し、氏憲を関東管領から更迭します。氏憲は、これに対し翌23年(1416年)10月に反乱を起こしました。これが上杉禅秀の乱と呼ばれるものです。


足利持氏は鎌倉を脱出し、駿河の今川範政の元に逃れます。このとき関東は氏憲方に一時制圧されたと思われます。しかしながら、この際に持氏方には目立った抵抗は出来ませんでした。このことが、持氏には終生にわたって禍根となったと思うのです。


結局のところ足利持氏には、幕府に助力を頼むしか手段は残っていませんでした。これは幕府からの自立を望む鎌倉府の持氏には蹉跌となりました。持氏の依頼を受けたときの将軍であった足利義持は、持氏救援を決定します。


幕命を受けた今川氏などの活躍により翌応永24年(1417年)1月には鎌倉を奪還し、上杉禅秀の乱は終結するのです。