保元の乱と中世 | 中世史討論会

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日本の中世史について素人の視点から討論する材料を提供したいと考えています。将来的には、専門家の招聘や討論会の開催を目指しています。
なお、当ブログでは諸説あるもの含めて煩雑さを避けるため一つの説に拠っていますが、その辺もコメントしていけるとありがたいです。

中世とはいつ始まりいつ終わるのか?というのは一つのテーマかと思います。

学術上は、保元の乱(1156年)をもって中世の始まりとされているのが一般的と思われますが、このブログでは更にその終わりも保元の乱で決めているのです。それはどういうことでしょう??

 

保元の乱は、鳥羽法皇の崩御後にその後継権力を巡って後白河天皇方と崇徳上皇方に分かれて争った抗争のことです。

このとき抗争を解決する手段として京都で武士が利用されたことが画期的だった訳ですが、天皇方の先陣を務めたのは以下の武士でした。

 

 - 平清盛 二条大路    300騎

 -  源義朝 大炊御門大路 200騎

 -  源義康 近衛大路    100騎

 

上記3名の武士にご注目下さい。まさに、中世とはこの3名によって形作られたといっても過言ではないと思います。

 

すなわち、

 

平清盛は初めて武士でありながら政権を掌握しました。

その後、源義朝の嫡男である源頼朝が鎌倉幕府を開き鎌倉時代と呼ばれました。

そして、源義康(足利義康)の後裔である足利尊氏が室町幕府を開き室町時代と呼ばれるようになります。

 

武士社会は、実に420年もの長きにわたって保元の乱との関りを持ち続けたということがお判りになったと思います。

 

保元の乱の先陣を務めた武士たちが我が国の権力を掌握し、またその順番が動員できる武士の数であったというのもなんとも示唆的であると考えています。

 

皆さんはどう思われますか?