元来、あまり人を好きにならないタイプだった私。
この世には
「姉と愛犬」
「わたし」
「それ以外」
のカテゴリしか存在しなかった。
姉が結婚し家を出てからは、愛犬が私のほぼ全てになっていた。
2014年正月。
祖母の家に家族で帰省していると、咳込み始める愛犬。
元々心臓が悪く、薬を処方されていたが、なんだか苦しそう。
暫く様子を見ると落ち着いた。
正月明けに病院が始まり、念のため、かかりつけ医を受診すると
先生から
肺水腫を起こしており、今夜が山です
と。
苦しかったろうに。
ごめんね。
酸素テントなるものがあるが、予約制で早くても届くまで1週間かかる。
間に合わない。
酸素テントの予約をし、
先生から酸素ボンベの取り扱い方法を説明され、数本持って帰宅。
酸素ボンベ無しでは呼吸が苦しそうだが、酸素ボンベを嫌がる愛犬。
酸素ボンベの減りが早く、朝一番で泣きながら病院へボンベを追加で取りに行った。
ボンベの口元に当てるパーツは動物用は作られておらず、人間用しか存在しない。
正直、使いづらい。
ペットボトルを口から10センチ程で切断し、切口にはビニテ。
即席の動物用パーツが完成。
なんとか酸素ボンベで過ごしていると、酸素テントの業者さんから連絡が。
先生から緊急を要すると連絡があったので、
今日届けられますと。
先生も業者さんも神様かと思った。
酸素テントを届けてもらい、高濃度の酸素が発生する機械+ケージ&ビニールテントの完成。
電源を入れるとダース・ベイダーの呼吸音の様な音をさせながら、酸素が発生。
早速入ってもらう。
全然苦しそうじゃない。
久しぶりにぐっすり眠っている愛犬を見てまた泣いた。
酸素テント、レンタルだったがめちゃくちゃ高かったが、使ってよかった。
今までケージで過ごしたことがない愛犬は年で目が見えなくなっているせいもあり、テント内で寂しそうに鳴く。
テントの隙間から手を入れて撫でていたが、抱っこが好きな愛犬は満足せず。
最終的には、私が頭だけ外に出してテントに入った。
プライドが高かった愛犬は、排泄粗相は亡くなる直前のみだった。
一人で立てないのに、トイレに行きたがるので体を支えながらトイレへ。
歩きたがる
10歩も歩くと体を強張らせる。
抱っこでダッシュでテントに戻る。
の繰り返し。
仮眠をとりながら母と交代で約一ヶ月介護をした。
朝会社に出社し、昼休憩で一旦帰宅し、トイレと流動食とマッサージ。
仕事が終われば即帰宅し、ずっと一緒にいた。
2/7昼に、一時帰宅すると黒い便を漏らしてしまった愛犬。
キレイに拭き取り、水分補給させ、トイレに連れていき
会社に戻る。
戻らなければよかった。
愛犬の寿命が近いという現実を受け入れられず、
まだ大丈夫と言い聞かせた。
夕方、仕事から帰宅した母から
愛犬が、呼吸していない。
と電話があり、会社を飛び出した。
当時会社はチャリで10分程度の距離。
私は電話から5分後には自宅で愛犬を抱いて泣いていた。
肛門から黒い便が出ていたので泣きながら風呂に入れた。
今でもその時洗ったシャンプーの匂いは嗅げない。
風呂から出て号泣しながらあることに気付く。
上司に何も言わず帰宅してしまった。
号泣しながら上司に電話する私。
驚く上司。
事情を伝えると
しばらく休めと。
いい職場だ。
病院へ愛犬が、亡くなったと電話で報告。
保冷剤を敷き詰めるよう言われ、近くのペット斎場も教えてもらった。
ペット斎場へ連絡すると翌々日の予約が取れた。
その夜、父も仕事から泣きながら帰宅した。意外だった。
直帰する勇気が出なく、一杯飲んできたが味はしなかったらしい。
店で泣きそうになったから帰ってきたらしい。
姉も娘たちを寝かしつけた後に車で駆け付けてくれた。
亡骸と一緒に寝て、翌日、犬友達がお別れに来てくれた。
いつの間にか、雪が降り積もっていた。
翌日、斎場までは友人父がチェーンを装備した配達用の軽トラで送ってくれた。
小型犬だったがガッチリ体型だった愛犬は中型犬用の骨壷に入った。
遺髪はロケットに入れて首から下げるようにした。
それから約一年、骨壷抱えて寝た。
酒の量が増えた。
葬儀の翌日から出社したが、感情は消えた。
ふとした瞬間、涙が溢れて止まらなくなる。
完璧なペットロスだ。
このままではダメだと思い渋々承諾。
やることの無くなった私は感情を取り戻すために旅行や婚活を開始。
この婚活も空回りしてやがてバツがつく。
そのお話はまた今度
この世には
「姉と愛犬」
「わたし」
「それ以外」
のカテゴリしか存在しなかった。
姉が結婚し家を出てからは、愛犬が私のほぼ全てになっていた。
2014年正月。
祖母の家に家族で帰省していると、咳込み始める愛犬。
元々心臓が悪く、薬を処方されていたが、なんだか苦しそう。
暫く様子を見ると落ち着いた。
正月明けに病院が始まり、念のため、かかりつけ医を受診すると
先生から
肺水腫を起こしており、今夜が山です
と。
苦しかったろうに。
ごめんね。
酸素テントなるものがあるが、予約制で早くても届くまで1週間かかる。
間に合わない。
酸素テントの予約をし、
先生から酸素ボンベの取り扱い方法を説明され、数本持って帰宅。
酸素ボンベ無しでは呼吸が苦しそうだが、酸素ボンベを嫌がる愛犬。
酸素ボンベの減りが早く、朝一番で泣きながら病院へボンベを追加で取りに行った。
ボンベの口元に当てるパーツは動物用は作られておらず、人間用しか存在しない。
正直、使いづらい。
ペットボトルを口から10センチ程で切断し、切口にはビニテ。
即席の動物用パーツが完成。
なんとか酸素ボンベで過ごしていると、酸素テントの業者さんから連絡が。
先生から緊急を要すると連絡があったので、
今日届けられますと。
先生も業者さんも神様かと思った。
酸素テントを届けてもらい、高濃度の酸素が発生する機械+ケージ&ビニールテントの完成。
電源を入れるとダース・ベイダーの呼吸音の様な音をさせながら、酸素が発生。
早速入ってもらう。
全然苦しそうじゃない。
久しぶりにぐっすり眠っている愛犬を見てまた泣いた。
酸素テント、レンタルだったがめちゃくちゃ高かったが、使ってよかった。
今までケージで過ごしたことがない愛犬は年で目が見えなくなっているせいもあり、テント内で寂しそうに鳴く。
テントの隙間から手を入れて撫でていたが、抱っこが好きな愛犬は満足せず。
最終的には、私が頭だけ外に出してテントに入った。
プライドが高かった愛犬は、排泄粗相は亡くなる直前のみだった。
一人で立てないのに、トイレに行きたがるので体を支えながらトイレへ。
歩きたがる
10歩も歩くと体を強張らせる。
抱っこでダッシュでテントに戻る。
の繰り返し。
仮眠をとりながら母と交代で約一ヶ月介護をした。
朝会社に出社し、昼休憩で一旦帰宅し、トイレと流動食とマッサージ。
仕事が終われば即帰宅し、ずっと一緒にいた。
2/7昼に、一時帰宅すると黒い便を漏らしてしまった愛犬。
キレイに拭き取り、水分補給させ、トイレに連れていき
会社に戻る。
戻らなければよかった。
愛犬の寿命が近いという現実を受け入れられず、
まだ大丈夫と言い聞かせた。
夕方、仕事から帰宅した母から
愛犬が、呼吸していない。
と電話があり、会社を飛び出した。
当時会社はチャリで10分程度の距離。
私は電話から5分後には自宅で愛犬を抱いて泣いていた。
肛門から黒い便が出ていたので泣きながら風呂に入れた。
今でもその時洗ったシャンプーの匂いは嗅げない。
風呂から出て号泣しながらあることに気付く。
上司に何も言わず帰宅してしまった。
号泣しながら上司に電話する私。
驚く上司。
事情を伝えると
しばらく休めと。
いい職場だ。
病院へ愛犬が、亡くなったと電話で報告。
保冷剤を敷き詰めるよう言われ、近くのペット斎場も教えてもらった。
ペット斎場へ連絡すると翌々日の予約が取れた。
その夜、父も仕事から泣きながら帰宅した。意外だった。
直帰する勇気が出なく、一杯飲んできたが味はしなかったらしい。
店で泣きそうになったから帰ってきたらしい。
姉も娘たちを寝かしつけた後に車で駆け付けてくれた。
亡骸と一緒に寝て、翌日、犬友達がお別れに来てくれた。
いつの間にか、雪が降り積もっていた。
翌日、斎場までは友人父がチェーンを装備した配達用の軽トラで送ってくれた。
小型犬だったがガッチリ体型だった愛犬は中型犬用の骨壷に入った。
遺髪はロケットに入れて首から下げるようにした。
それから約一年、骨壷抱えて寝た。
酒の量が増えた。
葬儀の翌日から出社したが、感情は消えた。
ふとした瞬間、涙が溢れて止まらなくなる。
完璧なペットロスだ。
骨壷抱えて寝るようになって1年、見かねた母が祖母の家の庭に骨を埋めようと提案
このままではダメだと思い渋々承諾。
やることの無くなった私は感情を取り戻すために旅行や婚活を開始。
この婚活も空回りしてやがてバツがつく。
そのお話はまた今度