万博記念公園でブロニカ
先週の土曜日に撮影に行ったフイルムが上がってきたので。
大阪万博EXPO‘70が開催されていた当事、私は小学生4年生。
その後、いくつかの博覧会がありましたが、この大阪万博が一番盛り上がっていたんじゃないでしょうか。
たしかこの年の運動会は万博テーマソング、三波春雄さんの世界の国からこんにちはで入場行進をして、うれしはずかしのフォークダンスのほかに万博音頭で踊った記憶が。
この日はちょっと前にジャンクで買った大判用のジンマー150mmのレンズをブロニカS2につけてテスト撮影してみようと思って出かけました。
上がジンマー150mm、下はブロニカゼンザノン150mm。
こちらはブロニカ用ニッコール50mm。
この日は天気は良かったんですが、風が強くてほとんどぶれたコスモスばかりに。
KODAK No. 1A Autographic Kodak Jr
このカメラは修理品ではなく、以前に知人からお土産でいただいたカメラです。
発売が1914年ですからほぼ一世紀前、世界最初に写真が出来たのが1826年で初期のフイルム(感剤)はシートやガラスに感光剤(銀)を塗布したもので、感度も低く
露出時間も数十秒から数分(最初期のものは数時間)。昔の写真でみんなしかめっ面や澄ました顔で写っている写真が多いのは(例外で笑った写真も見たことがある!)写真に撮られる事が特別なこともあったのでしょうが、長い時間笑った顔で静止することが難しかったからでしょうね。
また、顔が動かないようにするために首を固定する保持具があったそうです。
現在のようにロール状のフイルムが発売されたのは1889年アメリカのイーストマン・コダックからでたものが最初でした。
それまでは多分写真を撮るのは一般の人には敷居が高く、例外はあるかもしれませんが撮影はカメラマンと言うより写真師の独壇場だったんだと思います。
カメラがプロの写真師から一般の人が使えるようになったのはこのイーストマンコダックのおかげでしょうね。
イーストマンコダックはこの新しい規格のフイルムを販売しただけでなく、カメラ(当然新しい規格だからこのフイルムに合うカメラは自社のカメラだけ)、現像までやっていました。
上の2枚はカメラの後ろ側を撮ったものですが、右側にある扉と鉄筆が何のためのものなのかわからなかったのですが、調べてみてわかりました。
このカメラに使われるフイルムは116タイプで(今は販売されていない)120フイルム(ブローニーフイルム)より一回り大きなフイルムで120フイルムと同じようにフイルムの裏側に裏紙がついているのですがこの裏紙がカーボン紙みたいなもので、上に写っている扉を開けるとこのカーボン紙が露出し、鉄筆でここからこのカーボン紙に文字を書くと書いた部分のカーボンが剥がれてフイルムに露光してフイルムの画間の間にメモが書き込まれる仕組みだったそうです。
80年代後半の国産カメラに日付や露出データーをLEDでフイルムに印字するシステムが出てきましたが、フイルムにデータを印字するアイデアはこんな以前からあったんですね。
このコダックNo. 1A Autographic Kodak Jrですが、蛇腹もボロボロ、他にも部品が欠損していて整備しないと撮影できないのですが、整備してもフイルムが入手できない!
でも撮ってみたい!レンズ、シャッター部を取り外してブロニカにつけて撮影してみます。












