これからも
悲惨な殺人事件は起こると思います
でもこの国では
『深く反省している』
『更正の余地がある』
『初犯である』
『殺害した人数がひとりである』
などの理由づけ・慣習で
【死刑にならない】
のです
何の罪も落ち度もない命を奪って無惨に遺棄して
それでも生きているその犯人を
この国の法律は
【生かす】
のです
被害者の家族・伴侶・恋人・友人・知人の,いつまでも消えることのない
悔しさ
無念さ
やりきれなさ
悲しさを 『死刑』が埋めるとは言いませんし,消すこともないと思います でも
遺族が犯人に対して
【殺してやりたい】
【死んでしまえ】
【死んで償え】
と思うのは ごく自然なことではないでしょうか?
なぜ平和な暮らしが一瞬にして奪われなければならないのでしょうか?
『人生』を奪われなければならないのでしょうか?
私は『死刑反対論者』を否定しませんが,ひとつだけ質問があります
『あなたの大切な人が 無惨に殺害されても 死刑反対を唱えますか?』と..
『残虐な犯行』は犯人自身が『やる』と決めた行動であり結果であり,他人を被害者にした時点で,
『同じことを犯人自身がされても文句を言う・拒否する資格も権利も無い』と思うのです. 『眼には眼を,歯には歯を』です
放火殺人犯は自身に火をつけられて当然だし,
自殺に追い込んだ詐欺師は,追い詰められて自殺すればいい
首を絞めて殺したのなら,その犯人は首を絞められて死ねばいいと思うのです
『残虐な殺人犯は生きてほしくない,同様に死ねばいい』
この思いは今後も揺るぎません
法律は誰のためのものでしょうか?
悔しくてたまらないのです...