まだ見ぬ未来へと
進み行く道を
分つ瞬間を
改めて
実感する出来事が
続いている
それは家族であり
または家族同然のような
関係性を知らぬ間に
築いていた人たちとの
道を分つ瞬間だ
いわゆる
3年前からの
セカイ的大改革でもあった
一連の出来事が起きてから
その瞬間は
解っていたけれど
それでも
セカイの動向や流れによって
個々が判断し
選択してきたタイムラインに
接する機会は
あった
そのほとんどが
変わった人扱いで
片付けられてきたのだけど
一情報として
あれこれ調べて知り得たものを
丸投げ状態で
伝え続けてきた
そんな虚しさばかりが
残る遣り取りを経て
最近になって
もう個々の選択は
とっくに終わってると
あきらめた
あとは委ねるだけ
わたし自神に対しても
家族に対しても
誰に対しても
委ねるだけだ
そんな日々の中で
ココロが軽くなることは
朝方に視る夢が
心地好いということ
きっと意識は
新たなセカイに
先周りして
あれやこれやと
愉しんでるみたいだ
これは
好き兆候なんだろうね
早春の強く
吹き抜ける風に
希望を視ている
