海外の方に記事の内容が読みたいとリクエストをいただいたので
紹介させていただきます。
日本語のままの転載はご遠慮くださいますようにお願いします。
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Farewell Till Tomorrow
2011年、最後の超新星。
日本で人気の韓国出身グループ、超新星。そのリーダー、ユナクが10月下旬、軍に入隊。
2011年最後の号で、メンバー全員が揃う最後のファッション撮影をお届けします。そして、彼らの成長を
誰よりも長く見守ってきた編集者、淀川美代子が超新星の魅力についてヴォーグジャパンに語ってくれました。
“僕たちの夢を叶えてくれたのが、日本のファンの皆さんです。”
ヴォーグジャパンと超新星をつなげたのは、日本のファッション雑誌界を長らく牽引してきた名編集者の淀川美代子さん。それはリーダーのユナクが10月下旬、軍に入隊すると発表した直後のことでした。
9月中旬、5000人のファンが集まった東京国際フォーラムのコンサート会場―。 最後の曲を前にユナクが突然、「皆さん、大事なお知らせがあります・・・・・。僕がいちばん年上って知っていますよね」と日本語で話し始めたとたん、ファンは次に来るべき言葉を素早く察知したかのように、客席から悲鳴が飛び始めた。韓国人成年男性に義務づけられている兵役のために10月下旬から約2年間入隊する、と誰よりも先にファンに報告したユナク。すると、これまで客席で歓声をあげていた女性たちが、一斉に号泣し始めるという衝撃的な場面に遭遇した。
ユナクが参加する今年最後の全国ツアー。そんな過密なスケジュールの合い間をぬってメンバー全員が撮影のために東京のスタジオに集まってくれた。身長180cm以上でモデル並みのスタイルとルックスを兼ね備えた6人が一斉に登場する光景は、それだけで迫力があるということにまず驚く。さらに驚いたのは、メンバー全員が日本語を自由に話せること。
「子どもの頃からモデルをやっていたので今日の撮影は楽しみにしていました」と真っ先に話してくれたジヒョクは、明るい人柄でグループのムードメーカー的存在として知られている。「このような機会を作ってくださって感謝しています」と丁寧に話すのは、ファッション好きで知られるグァンス。みんな思い思いに話してくれるので、インタビューが進む。
超新星が日本でデビューを果たしたのは2009年。他の韓国出身アーティストとの大きな違いは、活動の中心を日本に置き、愛知大学卒のリーダー、ユナクが操る流暢な日本語を武器に、雑誌やバラエティ番組などに積極的に参加。NHKの『テレビでハングル講座』にはレギュラー出演するほど全国レベルでの人気も高い。
そんなユナクが期限付きとはいえ、突然いなくなる。韓国の若手アイドルグループにはよくあることだが、日本のポップカルチャーシーンにおいてはその影響はまだ未知数だ。
「正直、どのような形で発表するのがいちばん正しいのかさえ、わかりませんでした」とネイティブ並みの日本語で話すユナク。事務所が公式ウェブサイトで発表をする選択もあったという。
「けれど、メンバーと相談した結果、僕が勇気を出して、ステージの上でまずファンの皆さんに報告をすることにしました」とコンサート会場での異例の発表の経緯を説明してくれた。
コンサートのラストソング『君だけをずっと』はメンバー6人が声を詰まらせながら熱唱。途中、涙で歌えなくなったソンモにそのときの心境を聞いてみると、「前にいたファンがスケッチブックに『超新星は私たちが守る』と書いてくれて、それが見えて泣けてきた」と恥ずかしそうに振り返る。
「僕たちは韓国で2007年にデビューしましたが、失敗に終わっています」とその後に日本に活動拠点を移した経緯を淡々と語るユナク。愛知大学で経営学を学んだという異色の経歴にうなずけるほど冷静に自分たちをとらえている。
「日本に来て本当によかったといつも思っているのは、僕たちの夢を一つひとつ叶えてくれたのが日本であり、日本のファンの皆さんだからなのです。こうしてヴォーグに出ることも夢でしたし、子どもの頃から観ていた番組『HEY!HEY!HEY!』に出るのも夢でした。お母さんも僕が日本に行ってよかったと思っていますよ(笑)」
達成しきれていない
目標もまだ残っている。
とはいえ、インタビュー中、メンバー全員が異口同音に「オリコン1位はまだ取っていない」「東京ドームにまだ立っていない」「紅白にまだ出ていない」と強調する。自分たちを客観視しつつも、達成するべき目標をしっかりと見据えている。
「他の韓国出身グループと僕たちの違いは、僕たちのほうが日本での成功が切実な問題なのです。それは韓国で成功をしていないから。日本では失敗できなかった。そしてまだこれから頑張らないといけないのです」と甘いマスクが売りのソンジェはキッパリと言う。
2011年は、おそらく日本のポップカルチャー史上最も多くの韓国出身アーティストが日本市場を目指し、一部のマスコミ報道では「韓流バブル」とも揶揄されたほど。日本でプロモーション活動をしなくても売れてしまうアーティストも出現するなか、一途に日本とだけ向き合い続ける超新星は希有な存在かもしれない。
「僕たちは失敗を味わっているからこそファンの大切さ、小さなライブや近い距離でファンと呼吸し合える大切さを感じているので、これから人気がもっと出たとしてもこの気持ちだけは忘れずに頑張っていきたいと思う」(ユナク)
では、もっと先の将来をどう見ているのだろうか?
服やインテリアに興味があるグァンスは「ブランドを立ち上げたい」と言い、芸能一家で育ったゴニルは「ニュージーランドで牧場も経営したい」と夢は限りなく大きい。一方、俳優業を目指すメンバーたちも明確なビジョンがある。「絶対に(演技派として有名な)ハ・ジョンウさんのような俳優になりたい!」(ソンジェ)。格闘技が得意なソンモは「アジアのアクションスターとして映画に出たい」。読書家のジヒョクは俳優になって「50歳になったら自伝も書きたい」と言う。
ユナクはかつてインタビューで「日本で音楽事務所を立ち上げたい」と語っていたので、「ここにいるメンバーも一緒ですか?」と尋ねるとこんな答えが返ってきた。
「ここにいるメンバー全員が社長ですよ。メンバーごとに各部門を任せて、音楽とエンターテインメントで日本から韓国、中国、つまりアジアを目指すんです」
「超新星」の名前の由来は、宇宙の星たちが集まって爆発することで輝きを増すことを意味している。さまざまな試練という爆発を乗り越えつつ夢に向かう彼らにはふさわしい名前だと改めて思う。
そしてユナクは壮大なゆめのを実現するために必ずまた日本に戻ってくるという。2年後の世界はどうなっているかわからない。けれど、アジアのエンターテインメントを目指して輝くという夢は一緒に見てみたい気がする。そんな日が来るのが、今から楽しみだ。
“必ず日本に戻ってきます。待っていてくださいね。”
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淀川美奈子が語る、超新星への思い。
2010年10月にマガジンハウスから『超新星ビジュアル・コレクション ― 星のメッセージ ―』という写真集が出版されたのですが、その編集ディレクションを依頼されたのが、彼らとの初めての出会いでした。
超新星にとっては日本デビュー1周年の記念すべき一冊。葉山での早朝撮影にもかかわらず、全員が一生懸命頑張ってくれました。
しかし、その頃はリーダーのユナクさん以外は日本語が話せるメンバーがほとんどいなくて、コミュニケーションをとるのが大変!たとえば、撮影の途中でメンバーの一人にお手洗いに、と言われて送っていったのですが、お互いに無言でただ顔を見合わせて笑うだけ。そんなぎこちない雰囲気の中で仕事を進める場面もありました。
それが1年もしないうちに、全員が雑誌やテレビでインタビューを受けることができるほどに日本語が上達して、仕事などで会うたびにその努力の成果に驚かされています。特にグァンスさんは以前から日本語は少しだけわかっていたようですが、今は勉強が楽しくて日本語で書くほどまでに成長して、本当に感動をしてしまいます。写真集の撮影は何もしゃべれなかったメンバーと、今回のヴォーグの撮影で普通に立ち話ができるとは、あのときは想像もできませんでした。
さらに、ユナクさんとグァンスさんは日本語でブログとツイッターも始めています。ジヒョクさんとゴニルさんも最近、日本語でツイッターをしています。常にファンと積極的にコミュニケーションをとろうとする姿勢がまた素敵。他のグループにはないきめこまやかな優しさが彼らにはあると思います。そして、ファンを大切にする気持ちが確実に届いていると実感するのはコンサート会場です。
最初は小さなホールでコンサートをしていた彼らですが、今やアリーナ級の会場でも大勢のファンが来てくれます。そしてもちろん、大きなホールでコンサートができるのも感動的ですが、今も小さなライブハウスでの公演を大切にし、ライブをやるときは心から楽しんでいる様子がまた素晴らしいのです。
それだけに先月、東京国際フォーラムで行われたコンサートは忘れられません。本当に悲しい場面に遭遇してしまいました。
たくさんの夢と希望を持って日本にやってきた超新星は、着実に一歩ずつ成長し、進化していっただけに、まだ達成しきれていない目標も山積みだと思います。そんな中でユナクさんがいなくなってしまうのは本当に寂しいです。
ユナクさん、メンバーもファンも、あなたが一日もはやく日本に戻ってきてくれることを今から待っています。(談)