それでいいとは思う
どうも。
私です。
昨日、幸運にしてカトキ版Zガンダムを買うことが叶って幸せ多めの私ですが。
いった先のホビーショップの中に『施設の主としてマスク着用してない方の入店はお断りします』的な所がありました。
なんとなく言ってるだろうな、とマスクは用意していたので無事に入店出来ました。
昨今、政府からマスクの強制は解除されたわけですが人々の中の不安感というものは簡単には拭えないわけでして。
そういう判断の個人があってもいいとは思います。
ただ、その行為、その要請には意味があって欲しいとも思います。
私などは肺を手術して人より吸う酸素の量が少ないのでマスクを要望されると正直息が苦しいわけですが。
走り回るわけではないので見て歩くだけなら多少苦しくても許容の範囲内。
それより楽しく店内を見て歩くと言う欲に軍配が上がるのでお店に入らずに帰ると言う選択肢はないのですけれどもね。
で、例のコロコロの何が怖いものだとお考えなのか、他人の心の内は分からないわけですが私は以下の点からマスクに意味は無いと結論付けております。
①空気感染ではなく接触感染
②ウイルスの大きさはマスクの繊維よりも小さい(80から220ナノメートルで髪の毛の太さより更に小さい)ため防御も飛散防止も要を成さない
③肺炎球菌ワクチン接種により耐性は多くの人にある
④日本ほど清潔な国では外国程の感染力は有り得ない
の点から基本的にマスクにコロコロ予防の効果は無いと考えております。
ではマスクには何の意味も無いのでしょうか?
いえ、そうではなくコロコロの感染+合併症によるリスクを減らせる点は効果有りと言えます。
つまり、体の弱い方々は風邪やインフルエンザなどの感染性疾患と合わさることで高まるコロコロのリスクを減らせると言う意味は持っております。
糖尿病とかそれ以外の疾患を持っている方には尚更それらの病気リスクを低減する事には意味ありなのですが。
私はあのコロコロのタイミングで肺をやられたためにワクチンも未接種、マスクも苦しくて出来ない、通院に病人満載の病院に通い続けるというリスクだらけでしたがおかげさまで何の発病もなく(それ以外の命のリスクはありましたが)過ごさせて頂きました。
最悪を考えて打てる手は打つ。
このことはとても意味のあることです。
お店のオーナーとして最悪を考えて手を打っている事はなかなかに良いとは思います。
そんなお店に行きつつも他のマスクフリーのお店にも行く。
私はまるでクラゲのように潮の流れに身を任せ漂う。
ただね、怖れるにしてもその脅威を正確に知って怖れるのかどうかが同意を得やすいかと思われ、その説明がしてあると更に良いのではないかとふと思ったりする。
他人は関係無いと言いつつも他人との関わりがなければ商売は成り立たない。
意地を張るにも理屈が無くてはただのワガママと受け取られる。
それでも良いよと言われれば返す言葉もないけど正しい認識のもとで下されるルールであって欲しいものだと思うわけですよ。
人との関わりは面倒です。
人の理解は落差があるので統一見解は難しいです。
ただ、先を行き過ぎず、最下層で捉えず、中間を、平均値を感じ取る能力ってやつはあった方が商売には役に立つのかも知れません。
そんな感想がよぎった昨日でございました。
それでは!