簡単な思考だが真理でもある
どうも。
私です。
祝日だっつーのに働かにゃならんわけですよ。
そんな会社に入った私の選択の結果。
不満でも納得はする。
世の中の全ての事はこの理屈で通るものだと思っていたが、最近はそうでもない。
例えばお店側の「勉強」「サービス」であったり、エコに名を借りた我慢の押し付けであったり。
サービスってそれに見合う見返りが無ければ行われないものです。
私がものを判断する時に考える「メリットとデメリット」もそうですが、そこが分かることで安心して、納得して行動に移れるわけでして。
電子マネーのポイント付与であったり代替エネルギー案の押し付けであったり、なぜそんなにガッツクのかと疑問に思う。
良い物は宣伝せずとも知れ渡る。
良い物は拒まれず続く。
しかし良い物でも悪い部分との天秤によっては使われなくなる。
それはそれぞれの判断によるもの。
さて、今世の中にデメリットを堂々と叫ぶ物は有るだろうか?
国や地方の政に於いてでさえ綺麗なお題目や漠然とした見出しだけを掲げて、我々に考えて判断させる機会を持つものはどれだけあるだろうか?
選挙の候補者に選択肢を提示して違いを明確化出来る人間はどれ程居るだろうか?
何か全てカップに隠したモノを分けの分からない説明だけで片側に誘導されているような、そんな気がするのだ。
例えば

私はコレを買うまでにかなり迷いました。
ゼータ以降のモビルスーツ自体、リアルとかけ離れている感があって、思い出補正とか重く硬いイメージのモビルスーツばかり選んで買う傾向なのですけども。
だからキュベレイはあまり欲しいと思ったことがない。
しかし、手のデカさにやられて買う事を決断しました。
悩んで決めました。
これ大事。
何事も悩んで決断すべきなんです。
誰かに促されて適当に選び、後から「貴方が選んだんですよ」とは言われたくない。
デメリットを堂々と言える社会、選択をさせてくれる世の中であって欲しい。
そんな風に思うので御座います。
世の中に自ら損ばかりすることを選ぶ人間なんて親くらいしか居ませんし、その対象はあくまで自らの未来に対してなのです。
見も知らない他人のために苦労を背負い込む人間なんていはしません。
私もそう。
でも、それでもそれを行う人が居るのであれば、それには何かしらの見返りがある。
聖人と呼ぶか極悪人と呼ぶかはその見返りの正体を知った時なのですよ。
そして、手のデカいキュベレイは永野護初期デザインとか教えてもらったんですよ。
それでは!