Just breathe

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書き残して生きて行く

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なんとも失礼な話だ。


子が天才であることはすべて親のお陰だとでも言うのであろうか。


天才の育て方、等と大きく打ち出して、子が成果に満足しないように挑発するだの、褒美は与えないだのとといった一個人である親の哲学をさも間違いの無い真理のように説き、全国区で放送してしまう。努力を疑われたり、過小評価された子が、その時どれ程傷付くのかには焦点は置かれない。
彼らの子は大きく開花したから賞賛を得、自身への自己評価も下げることなくここまで来れただろうが、では開花しなかった子供たちはどうなるのか。この哲学を全国に流布したことで、どれほどの子供たちが親の無神経な言葉に傷付き自己評価を下げていくのかを想像すると、身の毛もよだつ想いである。
親の一言が子に与える衝撃の重さを、知らない親が多過ぎるように思う。

大体なんだこの番組は。本人が開花したのは本人の努力の結果であって、親がしたのなんてせいぜい才能の芽を摘むことなく、その才能の邪魔をしなかった、程度のことだろう。それを子の残した功績に肖って親の育て方を祭り上げるなんて、努力の横取りと言っても過言ではない。

功績を残した子の口から、全ては親のサポートと教育のお陰、と賞賛されることは良しとする。寧ろ、それ以外で賞賛を受けるのは、親のエゴを助長する事に他ならない。それを喜んでテレビにゲスト出演したりして、結果を出したのはお前じゃないだろう、が本音である。



私の親も同じであった。寧ろ劣化版だ。
好奇心を摘み、欲を愚弄し、過小評価と否定を与えられ続けた幼少期、まだ年齢が2桁に届くか否かの頃には既に、希死念慮とすっかり仲良しになっていた。歪んだ認識と皮肉ばかりを口にする環境で、一心不乱に努力をする事等アイロニーの対象にしかならないと幼いながら認識していたわたしは、人に見せることなく、自覚すらすることなく淡々と、持ち前の言語能力のみで勉強をこなし続けていた。好きなものは嘲られ、否定され、怒り、それでもぶつける先はなく、自身を傷つけることで発散を覚えたのはまだ漸く10歳になるか否かの頃であった。今思っても悲しい子供時代だ。

いい大人になった今も、毒親のしこりは残っており、こんなふざけたテレビ番組一つに怒りを煽られ吐き気を催す程度には腹の底で傷付いたままである。かわいそうな私のインナーチャイルド。自信が親になる前に、なんとかこの子を大切に幸せにしてあげなくちゃならないのが、当面の課題である。



親と子の間の歪みは、根が深い。


くだらないテレビのくだらない情報に踊らされたバカ親によって、傷付く子供たちが増えないよう、祈るばかりである。