前に書いたかわかんないけど、
あたしは日本語教師になるのを長期目標とし
その過程として就活を選びました。
今日久しぶりにmixiに就活の日記を書くと
あたしの中で最も純朴な友達が
「(大人の嘘を迫られたあたしに対して)そんな葛藤をしてくれる人が友達でほんまよかった」
って書き込みました。
うれしかった。
でも正直、困惑した。
この子は本当に純朴。
日本社会の荒波にもまれて今の輝きを失うべきじゃない子。
むしろ、知ってはいけない子。
あたしはそんな子と知り合えていろんな発見ができたし幸せ者だと思う。
それに現にこの子の周りには国を越えて本当にたくさんの友達がいる。
でも、あたしが無事就職が決まって社会でもまれたら
多くの物を得るし、多くの物を失っていく。
今はつけない大人の嘘も平気でつけるかもしれない。
醜い姿になってそう…。
そしたら、きっとこの子を始め
卒業してそのまま海外に教えに行ったり院に行ったりする子の輝きにきっと耐えられない。
仕事に夢中になっても忙殺されて、きっと純粋な輝きがなくなってく。
そして、あたしが再び日本語教師を目指す時
彼女たちとはまったく違った教師像が出来上がってるはず。
もちろん、いろんな先生が必要だし「どんな経験も無駄にならない」があたしのモットー。
でも、その時にあたしに輝きがあるかがとても心配…。
この前スペイン・モロッコ・ドイツに旅行してきた子は
「なんで日本はこんなにがんばってるんだろう?」って言ってた。
確かにそう思う。
戦後の復興のスピードのままがんばりすぎちゃってると思う。
時代は変わるから、考えも変わるし仕事や生活のスタイルも当然変わる。
でもその日本社会に飛び込もうとしてるあたし。
学生も企業も焦ってる就活の波に必死に乗ろうとして
スーツ着て自分を伝える内容考えて笑顔で媚売って。
面接もマナーとかいうけど、結局みんなやってること同じ。
でもこれが日本、って割り切る手段もある。
国によって考え方が異なるのは百も承知だし。
でも違和感を感じる…。
結局あたしの目指すところはどこなんだろう?
そう思うと、なんとなく目にこみあげてくるものがある…。