ここで、お世話になった家族のことについて書いてみようと思います。


お父さん:

NORIKO学級の校長先生。あたしのお父さんの1こ下だから、第二のお父さんみたい。

初日に「男の意見ではあなたはかわいい」と言ってくるような人。笑

でも、真剣な話ももちろんします。

あたしの滞在登録や病院のために遠く100km離れたところまで車を走らせてくれる親切な方です。


お母さん:

お母さんはあんまり日本語ができません。でも、知ってる言葉であたしをいつも気遣ってくれました。

「めぐみさん元気?大丈夫?」って。

あたしにウズベク語の「こんにちは」「ありがとう」を教えてくれたのもお母さんです。

作る料理も全部おいしい!大好きなお母さん。


息子:

もうすぐ17才。国際弁護士をめざす優秀な彼。日本語も堪能。

いつも松葉杖で学級に行くあたしの荷物をもって、同じスピードで歩いてくれる優しい人。

家の手伝いも、弟の面倒見も、自分の勉強も、なんでもします。

かなりのSで、あたしといい勝負。笑 一番一緒にいたので、だんだんいじめてくるようになりました。

でも彼とはホントに気が合うと思います。


娘:

14才。でも14才とも思えない大人さ。家事もばっちり。

ときどき見せる中学生な感じがかわいいです。

松葉杖を使わず片足で歩いていると家事をしていても駆け寄ってきて、いつも肩を貸してくれる気遣いのできる子。

お医者さんを目指しています。


息子:

もうすぐ1才。目がくりくりしていてホントにかわいい!

11/7 Sat


授業最終日。

みんなは日本人を「先生」と呼ぶけれど、決して先生に値するような授業ではなかったと思います。


それでも、文型導入や動詞のまとめなどなど、あたしなりにがんばったつもりです。

時々ジキの通訳の力は借りたけどね。。


私物や食べ物もたくさんもらいました。

キーホルダー、ウズベキスタン俳優のポストカード、ロケットペン、口紅、パフューム、りんご、サムサというかぼちゃとパプリカが入ったパイ、…。

中には「あなたは美人です」と書かれたノートも。笑

これをくれた子はクラスでも話せる子で、一番の仲良しに。


でも、もの以上にたくさんの温かい心と思い出をもらえました。


まだひらがな・カタカナしかわからず、まともにしゃべれない子が「本当にありがとう」って通訳を介して伝えてくれたのが印象的でした。

それから、午前も午後も来てくれた子もたくさんいたし、「先生おもしろいです」って言ってくれた子もいたな。

同時に「先生!」って呼ばれて対応に困ることもしょっちゅうだったけど、呼ばれて一人ひとりに向き合った時の笑顔が忘れられません。


その時いた生徒と記念写真も撮りました。いい思い出です。

みんなと撮れなかったのがホントに残念。


「先生、私にはお姉さんがいません。だから先生は私のお姉さんです」

って言われて、ホントに授業やってよかったなと思いました。

「メールください」「手紙ください」って言ってくれた子とは文通してみようと思います。


最後にみんなを見送るのがつらかったです。

これを書いている今も目の奥がじんわりきています。

「先生さようなら。またあした」って。もう明日はいないんだよ、あたし…。

11/3 Tue ~ 6 Fri


朝ごはん

9:00~10:00 ひらがな・カタカナクラス

10:00~11:00 日本語能力試験(JLPT)4級クラス

昼ごはん

14:00~15:00 ひらがな・カタカナクラス

15:00~16:00 JLPT3・4級クラス

16:00~17:00 JLPT2級クラス

夜ごはん

19:30~20:30 ノジマの勉強

20:30~22:00 ジキの勉強


だいたいこんなスケジュールでした。過密!

2級クラスは日本人がいると開講されるらしいです。

今は12/6のJLPTに向けて、みんな熱心に勉強しているところです。


朝から夜まで学習者を相手にするのは、ホントに体力勝負だなと思いました。

授業が終わったら、夜次の日の準備をしていたらどっと出てくる…。

でも、授業中は疲れも忘れちゃうんだよなー。

夜のノジマとジキの勉強も、「疲れてるでしょ?」って気遣ってくれたけど断らなかった。

みんないつも家の手伝いしてるのに夜はちゃんと勉強してて、そんな人を見捨てられないでしょ?


それに、ひらがな~1級レベルまで一気に相手できる経験もそうないからよかったです。

JLPTのことも全然知らないなーって思ったし。

特に1級なんて、あたしも判断に迷うような普段使わない文型があったし。


この1週間で一気に日本語教育に向き合いました。

でも知らないことホント多すぎ!

卒業まで勉強したとしても足りないくらいです。

今までなにやってきたんだろうって後悔…。

もっといろいろ知っていれば、それをみんなに還元できたのにと思うと残念でならないです。


それでも、みんなが学級に来てくれると精一杯やろうと思えるわけです。

日本語教師って、そんな仕事です。

午後おひるごはんを出してもらうと早速

「学級へ行きますか?」と。


※学級とはNORIKO学級というボランティア運営の日本語学校です。決して学校と呼べない規模だけど、子供たちは楽しそうに、かつ熱心に勉強しています。詳しくはhttp://rjc.bz/index.html をどうぞ。

学級について何も聞かされていなくて急に行けと言われても…と思いつつ、せっかく来たのだからとのぞくことに。

そしたらいきなり生徒が起立して「こんにちは!」って自己紹介を始めてくれました。


みんなとってもかわいい!


一緒に行ってくれたガニシェルさんの息子ジキが通訳してくれてかなり助かりました。

でも「15時になったから終わって」とか、大事なことは授業の前に言ってよー。


そしてガニシェルさんに連れられ、フェルガナにある緊急センターへ。

ここの偉い人が彼の知り合いらしく、しかもこの前福島のシンポジウムに行って日本人びいきだからタダで治療してくれるとのこと。コネ社会万歳!笑


レントゲンを撮り、骨に異常はないことが判明。よかったー。

でもかなり強く靭帯を痛めたらしく、11日ギプスをしろと…。


ギプス!?


ウズベキスタンで初めてギプスと松葉杖を体験しました。ちょこっと車いすにも乗って。みんなが注目するからホント恥ずかしい…。

これはもはやネタですね。


帰って家族でお夕飯。

ガニシェルさんも、奥さんサリマさんも、息子ジキも、娘ノジマもとってもいい人!そしてしっかりしています。

今年生まれたばかりのティムールもいます。名前聞いた時はびっくりしたけどね。


ウズベキスタンでは朝昼晩に1度ずつ停電があるので、ろうそくの明かりの中しゃべってました。

初日はまだぎこちないところがあったけど、どんどんなかよくなれました。

11/2 Mon


ミシャはこの日は大学。

でも午後からということで、Rishtanという町まで行くあたしを見送ってくれました。


ウズベク人のレートで両替をしてもらい

(ウズベク人は1$=1,700UZS。外国人は1$=1,500UZS)

タクシーでリシタン行きのタクシー乗り場へ。


首都タシケントは思ったより都会です。

みんなその中を器用に運転していきます。


そしてクイリクバザール(タクシー乗り場)へ。

タクシーと言っても乗合で、乗客が4人集まったら出発します。

4人集まらないと出発しないのです(4人分の料金を払えば出してくれることもあるみたい)。


1日はあたしが外国人だから集られたんだと思ってたけど、みんな仕事だからウズベク人のミシャにも寄って集って声をかけててびっくり。おもしろかった!

運よくリシタン行きのタクシーを見つけて、しかもあたしが4人目だったからすぐに出発。

ここでミシャとお別れしました。


タクシーは峠を越えてリシタンに向かいます。

途中タシケント市を出る時にウズベキスタン国民でもパスポートチェックがあります。

滞在登録してなかったあたしはちょっとドキドキ…でも無事通過。


途中峠のバザールで休憩。

後ろに座ってた人が買ったリンゴを1つくれました。うれしかった!


そして、走行中にバックミラーがないことに気付きました…。

フロントガラスにも大きなヒビが4~5本。スピードメーターは動いてないし。

みんなシートベルトはもちろんせず。。


心配だったけど、無事リシタンに着きました。よかった~。


リシタンではガニシェルさんという日本語学級の校長先生がお迎えしてくださいました。

しかし、あたしの足はピークで歩くのもままならず、病院に行くことに。

早速ご迷惑をおかけしたわけですが、後々けがをしてよかったかなとも思うように。


長くなりそうだから、この記事はここまで!