回想 2001年 ジャカルタ | バーグマンが行く!

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長年にわたり、更新してきましたが
2021年5月をもって放置プレーになります。
沢山の人たちとの交流の元になったブログです
今後、このブログは放置しても
新!バーグマンが行く!(https://ameblo.jp/teddy938g)にいますので、御用のときは訪問に来てくださいな!

 
昔々、10年ほど前、私は機械部品メーカーの海外主張要員でありました。
現在も、そのノウハウを生かした仕事をしておりますが、
 
1999年~2001年ごろの暴動直後のインドネシアときたら、何でも有りの状態でした・・・
もうすぐ、また行きますが、ちょっと昔を思い出しての回想です。
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これなあに?
2001年1月、ジャカルタの国際空港の入国(イミグレーション)です、
この頃は、ビサがややこしく、観光ならタダ、商用だと高額にとられる。
いかにもビジネスで来る日本人を捕まえて、金をゆする役人がいっぱいいました、
そのために、いちいちお金を要求されて口喧嘩になり、やたらと入国審査に時間がかかるんです。
到着後、2~3時間は当たり前、 やっと空港から出ても、タクシーは出払ってしまい、たむろしている白タクに法外なお金(といっても\3000ほどですが・・)を払って目的地に行きます、これが当たり前だったので、初めての人がボケ~と行くと面倒でした。
その為にジャカルタ滞在中、全然関係ない他社の出張の方を空港まで迎えに行くことが多かったです。
 
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バジャイです、ベスパを改造したインドネシア特有のタクシーです。
この写真は、乗車中の席から撮ったもの。
2001年ごろはまだ、普通車のタクシーが無いわけじゃ無かったんですが、ほとんどは走ってるのがやっとのポンコツでしたので、バジャイに乗っての移動は、わりと普通でした。
 
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2001年6月頃、ジャカルタの街中です。
今もほとんど変わりませんが、決定的に異なることがあります。
当時は、暴動の直後で、街中の信号が点灯しておりませんでした。
また、バイクは昔ながらの2ストロークエンジンの物がほとんどで、これだけの数ですから、とにかく空気が汚れていました
 
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ジャカルタでの食事です。
この写真は2002年の頃、実は一番まともな食事をした、シーフードレストランです。
これは高級の部類に入ります、おいしいです。
 
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ジャカルタの夜の街です。
じつまだ日が暮れたばっかりなので平気な顔してますが、もう少ししたら日本人が単独でくりだすなんてとても危険でした、
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街中に街灯がありません。正確には電球が盗まれてなくなってしまっています。
とっても暗くておっかない、現実にこの日の前日に近くで邦人の殺人事件があったそうです。
 
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この日は二人で食事に出たので、なんとか・・・
やっぱりバジャイでホテルに帰ります。
 
10年前は、こんな感じでした・・・・
もちろん最近はとても良くなっていますよ!