参照元:Willerd Benさん
フライシャーのベティ・ブープ
アニメーションの歴史を考えると、ウォルト・ディズニーの影響力は大きいものだとつくづく思います。前回、映像の歴史についてちょこっと記事でとりあげたときも、最終的にはウォルト・ディズニーの話に流れていってしまいました。なので、今回はウォルト・ディズニーが世界初のトーキーアニメーション(音声付きアニメーション)と呼ばれる『蒸気船ウィリー(1928)』を公開したころ、競争相手としてアニメーション制作を行っていたフライシャーについて少しばかり述べたいと思います。ちなみに余談ですが、私は1910年前後のウィンザー・マッケイによるドローウィングアニメーションから、1949年に発表されたノーマン・マクラーレンによる実験映像『色彩幻想』までの間で、アニメーションの美しさと発展はほぼ完結したのではないかと思っています。フライシャーとは、その中継ぎを担う重要なアニメーション史の人物だと思います。(ウィンザー・マッケイとノーマン・マクラーレンについては後ほどご紹介致します。)
フライシャーとは、アメリカでアニメーションを制作していた人物で、1920年代からベティ・ブープ、ポパイ、スーパーマンなど、今の日本においても非常に知名度の高いヒット作品を次々と生み出してきた有名人です。アメリカのカートゥーンならではのユニークなストーリーとキャラクター性は、当時アニメーション界において大きな技術と勢力を持ちつつあったウォルト・ディズニーの競争相手として、活躍しておりました。日本のアニメーションにおいても多大な影響を与えております。日本アニメーション界の巨匠としても知られる宮崎駿作品『天空の城ラピュタ』にでてくる『ロボット兵』は、フライシャーによる作品『スーパーマン』に出てくるロボットがモチーフになっているとも言われるほどです。
添付した映像は、Willerd Benさんによる動画の投稿を引用した、1930年公開のベティ・ブープです。現代のベティ・ブープとは印象が違いますが、雰囲気は限りなく近いですね。1930年というと、日本は昭和7年。まだ第二次世界大戦前ですね。その後、日本初のトーキーアニメーションとしては、1932年に『力と女の世の中』が公開され、1935年(昭和9年)には『のらくろ二等兵』が公開されます。このあたりまでくると、もうアニメーションとしては十分なくらいに動いています。後ほど、日本のアニメーションの歴史についてもまとめていきたいと思います。取り急ぎ、アメリカではウォルト・ディズニーとフライシャーは競争の関係にあったということまで。
フライシャーのベティ・ブープ