目を向けるべきは、「答え」じゃなくて「問い」 | コミュニケーションの学校 回覧板(錦糸町&両国&浦和)

目を向けるべきは、「答え」じゃなくて「問い」

昔、インターネットがなかった時代、
自分の情報源は、TVか書店か図書館か、友人・知人でした。

田舎だったので書店に行っても、
大した書籍はなく、いま思えば「脳内革命」とか
キワモノもベストセラーなので「常識」として読んでいました(苦笑)
高校生の頃、ポケベルを持ちました。10文字ぐらい打てました。

対して、現代社会は、めっちゃすごいです、超スゲー。
まさに「高度情報化社会」(死後)というやつで、
2chまとめサイトを読んでいるだけで休日が終わります。おそろしや。

思えば、「インターネット革命」と叫ばれていたのは1999年ぐらいで、
まだ10年余りしか経っていないんですよね、
いや、もう10年も経ったのか…。
にしても、非常に、快適に生きている実感があります。
病気になっても、ネットを叩けば、すぐに近くの病院の何科に行けば
いいのか、調べることができますし、
友人も手軽に見つかるし、便利すぎて笑えます。笑。

ところがどっっこい、同時に何となく閉塞感も感じるようになりました。
わからないことはネットを使えば、すぐに答えがわかります。
世の中は答えや情報や知識で溢れかえっています。
大学生とかと話していると感動しますが、
本当に若い人でもびっくりするぐらい賢くて知識豊かです。
でも、答えや情報に囲まれている分、何と言いますか、
未知なるフロンティアがない、
やるべきことは既にやり尽くされている感じが否めないのです。

残っていそうなフロンティアは、前人未到の領域だったりして、
もうフツーの人には手におえそうにありません。間然に置き去りです。
天才や強運といった極端な人にしか女神は微笑まないのか。

まぁ、それはそれで良いとしましょう。
最大の問題は、「世の中に答えが溢れかえっているのに、
いまいち社会が上手くいっているように思えない」という点です。

あえて今、それを問題提起してみたい。

今晩のおかずの作り方から、近所の美味しいラーメン屋、
営業センスの磨き方、恋人作り、さらには自己破産のやり方まで、
ネットを叩けば無料でいくらでも情報は出てきます。
古典も無料で読めます。評論家の意見も無限に出てきます。
なのになぜ、私たちの息苦しさは大して変わらないのか。

一方で、情報が氾濫し、答えが溢れかえってしまうと、
「アタリマエのこと」や「素朴な疑問」が軽視されがちになっている
ように感じています。果たして、極端な話は日常に重要か!?

個人的にはアタリマエのことってものすごく貴重だと考えています。
学校に行く、勉強をする、就職する、結婚する、子育てをする、
定年まで働く、走ったり、跳んだり、絵を書いたり、歌ったり。
どの一つもかけがえのない素晴らしいことであり、
人間の営みの基本であり、そうやって人類は続いているわけで、
究極インターネットやエレキギターが発明されていなくたって、
これらアタリマエの営みさえあれば私たち人類は続いていきます。

以前、目の見えない人に言われました、
目が見える、そんなアタリマエのことがいかに素晴らしいことか、と。

子供の出来ない人に言われました、
子育てをやり通す、それだけのことがいかに素晴らしいことか、と。

また、同じくらい、素朴な疑問にも大きな価値を感じます。

「どうして勉強しなくちゃいけないの?」
「どうして働くの?」
「どうして自殺はダメなの?」
「どうして結婚するの?」

これらは、誰もが一度は考えてみて、
いつしか考えるのを止めてしまっている問いだと思います。

確かに、本気で考えても、おそらく明確な答えは出ないでしょう。
でもだからといって、考えるのを止めてしまってはいかがなものか。
答えが出ないからって、考えることはムダなのでしょうか。
それよりも「来年の税金をいかに抑えるか」を
考えるほうが重要なことなのでしょうか。

義務教育でも社会に出ても、結局、この問題は無視されます。
本来は宗教が担っている分野なのでしょうけれど、
日本の場合、「スピリチュアル」とかいう名目で消費されるだけで、
いや、むしろここは宗教よりも哲学が担って欲しい分野だとも思います。

ともあれ、この手の問いは、周囲にとにかく嫌がられます(苦笑)。
答えのない問いをすることは「空気が読めない」に等しい。
学校でも、職場でも、友達でさえも、きっと煙たがれるでしょう。

それでも、やっぱり、「見ないこと」にしてはダメだと思います。
答えのある問いなんて、もう充分に
インターネット上に溢れているじゃないですか。

だったら、今、世の中に足りないのは、
答えのない「問い」なのではないでしょうか。

少ないものには価値があります。希少価値ってやつです。

閉塞感に正面から戦うためにも、フロンティア、
そう、素朴な疑問にも向き合ってみたい、と思うついこの頃です。
もちろん、真実は、見当違いで間違っているのかもしれませんが、
現状で自分ができるところはそこです。飽きるまで、やってみます(笑)