被災地、訪問。 | コミュニケーションの学校 回覧板(錦糸町&両国&浦和)

被災地、訪問。

半年が経過した被災地に行ってきました。
今回は視察がメインとなります。

非公式なためプライバシーに関することは公開できませんが、
市長や教育委員長などから、現状についてお伺いし、
その後、地元の名士の方に各地をご案内いただきました。


$コミュニケーションの学校 回覧板(錦糸町&両国&松戸)-沿岸地域

※随分よくなったとはいえ、まだまだ瓦礫の山です


いまも多くのボランティアの方が泥かきなどを行なっていました。
あちこちに祭壇が設けられており、綺麗なお花やかわいい人形、
飲み物などが供えられ、そんな人々の優しさに自然と涙が出ました。
そして、自分も何かカラダを動かさなければ
いたたまれない気分になりました。
今回は短い時間での訪問でした、近いうちに必ずまた行きます。
行かなければ、心が鎮まりません。

震災直後の悲惨な状況は、やはり実際に直面した方々のお話は
心につまるものがあります。
しかし、そのお話はマスコミにお任せしたいと思います。

印象的だったのは、「周囲の協力に頼ってばかりはいられない、
私たちは自立に向かって歩み出さなければ、その背中を子供たちに
見せていかなければならない」という教育委員長の言葉。
そのメッセージの裏側には、支援の在り方について次のステージに
入っていったことを示しているように感じました。

町は、かなり落ち着きを取り戻しています。
物資も次々と送られてきており、物質的には充分な雰囲気です。
イベントも無料で毎日のように開催されておりました。

でも「与えるだけ」の支援は、そろそろ限界なのではないでしょうか。

「自立」そのキーワードを踏まえた支援を考えたとき、
これからの支援は、簡単なことではないように思います。
軽率に行なえば、善意の押し付けに陥ってしまうでしょう。

また一方で、これは切実に痛感したのですが、
本当に必要なときに行かなければ意味がないと胸が痛みました。
震災直後すぐに駆けつけた方々に心から頭が下がります。
一番辛いときに駆けつけてくれる、その心強さは何物にも勝ります。
待ったなしの緊急事態では、どんな支援も重要なのですから。

最近、企業では「震災復興」を掲げれば、予算がつきやすいと聞きます。
ただ、安直な復興支援策を押し付けるのはいかがなものか。
いや、それでも何もしないよりはずっといい。

「興味本位で被災地を訪れるのは、気が引ける」
「今更行っても、何もしてあげられない」
そういう人も多いと思います。とても真っ当な姿勢だと思います。
だけど、そんな人こそ、訪れてみて欲しいと感じました。
あなたのような人がきっとこの痛みの意味を見い出してくれると信じます。
私たちは、そこに何も学ばなければ、すべての命が無駄になってしまいます。

知恵の女神ミネルバの化身といわれる梟は、夜更けと共に旅立ちます。

意味とか教訓とか工夫とか知恵とか、
そういうものは、すべてが終わった後に生まれてくる。

あくせくした時間の流れで、「先見性」や「新しい情報」がもてはやされ、
次々生まれるニュースに簡単に上書きされてしまう現代社会においては、
とても地道で鈍臭く感じられるかもしれませんが、
誰かがやる必要があるでしょう、
意味を見い出し、知恵として未来へ繋げる役割を担うことを。