本当のあこがれ
『学生時代に望んだ広告という職業に対するあこがれは、確かにもうなくなってしまった。しかし「あこがれ」という鎧が脱ぎ捨てられたその仕事は、だからこそ生々しい光を顕にし、彼女を引き付けているのかもしれない。』「仕事漂流」(稲泉連)より
ちょっと難しいですが、言いたいこと、わかる気がします。
「彼女」は広告に対するあこがれはもう持っていません。
でも、広告と一定の距離を置き、
ある程度冷めた目で見たからこそ、
面白さに気づいたということなんだと、まあ、私は解釈しています。
ここではたまたま広告が取り上げられていますが、
他の分野でも同じことが言えると思います。
仮にまったくあこがれていなかった分野でも、
冷静に見つめることで面白さが見えてくるかもしれない。
のめりこんでも、逆に距離がありすぎても、
きっと良さは見えてこないでしょう。
本当の姿は、プラスの方向にもマイナスの方向にも、
執着が取れたときに見えるのではないかしら。なんてね。