今日は旦那様の双子の
兄の命日


10年前のこの日の早朝に天国へ


SEだった兄は神経膠芽腫が発覚する1年前に
起業したばかりだった。

兄のサーバーには、いろんなアイデアが
詰まっている可能性があり

サーバーはまだ主人の実家にある


忘れ物が多発し、自転車で転け
立てないフラフラな時もあり、
母が心配して一度調べて貰いなさい!と
何度も言っていたらしい。


兄は独身で、私達に子どもが出来た頃から
離れていった。

神経膠芽腫を知らなかった私達は
遠方に住む兄の不調には全く気付く事が
出来なかった。

兄自身も、俺、鬱病かもしれん...
と一緒に起業した方に言っていた。


兄は一人で病院へ行き、その日から
既に歩けない状態で、車椅子生活

主人も大阪から何度も福岡へ行き
あまり交流の無かった兄と、1年間
再び兄弟として色々語り合ったみたい。


最期の半年はホスピスへ入り、
会社はまもなく閉じて

大人から子どもに戻る様に、
主人にも今度いつ来ると?って
〇〇ちゃんは来ないと?

と、タバコを吸いながら、主人に
話していた兄。大人か子どもかタラー

最期1ヶ月は母と主人が病院へ泊まり込み
兄は10年前の10月17日に天国へ


その時は、

兄が亡くなった。

ただそれを悲しんでいただけだった。



神経膠芽腫という病気を知り


一卵性の双子の旦那様は
怖かったのかも知れない。


それが、私にも伝わって来て


もしかしたら、まさか、

主人もいつか


そんな事を考える私がいた。



そして、私の鬱とパニック、突発性難聴、
円形脱毛などが始まってしまった



主人は私とは違い

ジョギングからマラソンへ
リレーマラソン
ハーフ
フルマラソン

兄が亡くなった7年後に
病気が発覚する2ヶ月前には
大阪マラソン3回目を完走した



病気は怖い
死を目の当たりにした家族は


その後をどう生きるか。


私は心の病になり、前向けてなかった


主人は、兄の分までは生きないと
よく言っていた
俺は、自分の人生を生きると
その意味が
その時の私には理解出来なかった



今は分かるような気がする


主人が何故、マラソンを始めたか
マラソンじゃなくてもよかったんやと
思う

生きる為に、次の何か目標を


残された家族は、その後を悲しんで
生きる為に、生まれてきた訳じゃない


主人が守ろうとしていた宝物へ
自分が前を向いて生きる事で
伝えてくれた

私は今、それを目標としている


心の病は簡単には治らない


だけど、私は私らしく

小さな幸せみつけるの得意だから
見つけたら笑って


私が間違っても
マラソンなんかしたら、旦那様
ちゃうちゃう!!
違うでキラキラキラキラおーい!

俺はマラソンしただけやで😅


ママは
笑いや〜

それやで爆笑


って言われるんが分かる



今頃、二人でまたガンダムとか
ワンピースの話しでもしながら、

鈍臭い私のやらかしに、
ヒヤヒヤしながら、
笑ってるかな


それとも、天国でとっくに、
彼女でも作って、楽しくやってるかな

それでいいねんニヤリ


それでおねがいラブラブラブラブラブラブ


お兄ちゃん、パパ、
仲良くしーや爆笑キラキラキラキラキラキラ