パパは一卵性の双子
双子の兄は、頭痛と左半身麻痺から始まり、一人で歩いて病気へ行き、母が駆けつけた時には車椅子だった。
腫瘍は右視床、脳幹に45ミリ、大脳へ広がりつつあった。
既に摘出は難しく、放射線と抗がん剤のみの治療
余命一年はないだろうと。
なぜ、今頃この話しかと言うと。
パパの私物から兄の闘病から葬儀、後の手続きまで、色々とパパが動いた形跡がわかる書類が沢山出てきたからだ。
診断書やセカンドオピニオン、ホスピスの資料、死亡診断書のコピー、葬儀の打ち合わせ、その他色々。
あまり帰省もしなかったパパに、出来る限り生活を切り詰め、何度も九州へ送り出したのを思い出す。
パパが兄を車椅子で、散歩したり、タバコを吸いたいと、病院の外までコッソリ連れ出したり、俺をこのまま家に連れて帰れと言われ、困ったと言っていた事など。
兄は独身だった。
仲良かった兄弟だが、私たちに子どもが出来た位から、段々距離が出来てしまった。
兄の身体がどうにもならなくなり、やがてパパにはとんでもないメールも来ていた。
どうせ俺は死ぬんやろ?
おまえも死ね と。
だけど、パパはおかまいなしで、兄の所へ通っていた。
最後は、兄はパパに感謝していた様だった。
つくづく思う。
同じ病気だと診断された時、パパはどんなに怖かっただろうかと。
どれだけ時間をかけても覚悟など出来るんだろうか。
パパが兄の為に探したホスピス。
最期は、パパの為に私が探した緩和ケア病棟。
出てきた書類を眺めながら、私も辛かったけど、同じことパパもしてるやん!って
パパがやがて自分も同じ病気になる事など知る由もなく。必死で兄の為に動いた形跡。
その書類の山を見ながら、この1年を思い出す。
パパの為に必死になって動いた経験は、私のこれからの人生にどう影響するのか。
いまは、元気とか言いながら、やっぱり心から明るくなれない、楽しく過ごせない自分がいる。
いつになったら、楽しい事しようって、自分から動けるんだろうか。
私はまだまだ、パパが天国に行った事を、受け入れられないでいるのが、本心かな。
パパ、お兄ちゃんに会えた?
仲直りした?
2人は本当に優しくて、面白くて、賢くて、素晴らしい兄弟だったね。
2人とも、何も死なんでも良かったのに😂
3人で話してるの、ホンマに楽しかったで!