みんなはイエス様のために働きたい、と思ったことありますか?
ある人は手をあげてみてください。
私は子供の頃から教会に行っていましたけど、イエス様のために働きたい、
と考えたことはありませんでした。
でも、初めてイエス様のために働きたい、と思ったのは、
私が大学生の頃、20歳くらいの頃でした。
その時は、夏のバイブルキャンプに大学生のみんなと行ったときで、
そこでいろいろなことを学びました。
一番よく覚えているのは、杉の木のたとえでした。(PP1:杉の写真)
日本には杉の木がたくさん植えられていて、この木を切って、家を建てたりします。
最初は小さな杉の木を植えます。それがだんだん成長していきます。
その時、下にある枝をどんどん切って行くそうです。
きっと木は痛い思いをすると思いますが、枝を切ることで、
まっすぐ、太く、大きく成長することが
できるのだそうです。
私たち人間も同じ。
時には痛く、つらい思いをするかもしれないけど、
それは私たちが天に向かってまっすぐ、たくましく、大きくなるために必要なことなんだよ。
そう教わり、つらいことがあっても、神様のために働きたい、と思いました。
この間、SちゃんのママがNickのことを教えてくれました。この人です。(PP2:Nickの写真1)
みんなも家でみましたか? Nickは手も足もありません。
まるで、枝を切られた杉の木のように、手や足がなく、胴体しかないんです。
子供の頃、Nickは死にたいと思いました。
なんで自分が生きているのかわからなかったからです。
みんなと同じ体じゃないから、からかわれたりもしました。
みんなができる事は自分にはできません。
お風呂でおぼれて死のうと、何度かtryしました。でも死ねませんでした。
神様も、周りの人も嫌いになっていきました。
まるで真っ暗やみに一人ぼっちでいるようでした。
でも、ある日、聖書の中に生きる意味を発見しました。
希望をみつけました。(PP3:Nickの写真2)
倒れても、もう一度起きあがる勇気をもらいました。
どんなときにもあきらめないことを教えられました。
今でも「足や手が与えられるように」祈ることもあるそうです。
でも与えられないからと言って、神様を恨んだり、失望することはないそうです。
なぜなら、神様の事を愛していて、信じているからです。
Nickの生きる目的は神様の事を世界の人に伝え、感動を与える事です。(PP3:Nickの写真3)
それは、手や足がなかったNickだから、与えられる感動です。
他の誰もNickの代わりはできません。
人間はみんな人それぞれ、神様から生きる目的を与えられています。
それを神様の中で見出す時、素晴らしい人生を歩むことができます。
ヨセフさんもたくさん苦しいことに会いました。お兄さんたちに嫌われたこと、
家族と離れ離れになった事、一人でエジプトに暮らしたこと、牢屋に入れられた事・・・
数えればきりがありません。
でも、エジプトにお兄さんが来て、お父さんも来て、もう一度会えた時、ヨセフはこう言いました。
わるいことも、よいことのための けいかくでした。(創世記50:20)
わたしが いかされたのは(くるしんだのは)、かぞくの いのちを すくうためでした。
(創世記45:5)
いい事も悪いことも、神様の計画の中にあり、それには素晴らしい目的があります。
私たちも勇気を失わず、あきらめず、力いっぱい生きましょう。
おいのりしましょう。
創世記43-45章