今日のおはなしは「知恵」についてのお話しです。


人間にはみんなに「知恵」が与えられていると思います。


前、牧師先生がりんごのお話をしたんだけど、

みんなは聞いていないと思うのでもう一回話すね。


日本にはたくさんのりんごを育てている農家があります。

ある時とても大きな台風がヒットして、

たくさんのりんごが風や雨で落とされてしまいました。

落ちたりんごは売ることができません。

かろうじて木に残っていたりんごも傷がついてしまって、

売り物にはなりません。・・・


ある人はこう思いました。


「こんなにもたくさんのリンゴがだめになってしまった。

残ったリンゴも傷だらけで売れないし、安く売っても

そんなにもうからない。」


でも、ある人はこう考えました・・・


「あんなにすごい台風があったけれど、りんごが落ちずに残っていたぞ。

あー、よかった・・・さてこれをどうしましょうか。」


同じりんご農家の人でも全然考え方が違いますね。


「こんなことになったらもうだめだ」と思った人は本当にもう駄目でした。

でも、「悪いこと」もプラスに考えて

「あーよかった。不幸中の幸いだ。」と思った人は、

「根性リンゴ」として、受験生の人たちに傷だらけのリンゴを高く売って、

もうけを出すことができました。

(「しっかりつかまり、落ちない」つまり「大学にも合格する」)

でもこの誰もが持っている知恵には、ちょっと足りないことがあります。

それは「神様がいない」ということです。

聖書をみると、神様の事をよく知ることが知恵のはじまりだって書かれています。

だから「神様を知らない知恵」はパーフェクトな知恵ではないんですよー。

知恵」とは「知る」という字と「恵み」という字からなっていますね。

全てのことは神様からの恵みだと言うことを知る・・・

そのことが知恵なのです。

私は子供のころから教会にいっていて、

クリスチャンになってもう20年以上たつので、

聖書のことはいろいろと知っています。だから「恵み」も知っています。

でも「恵みを知る」ということは生きている間

ずーっと必要なことなんですよ。


私は聖書を読むとき、こういう聖書を読む表を使って読んでいます。

この間もこの表を使って聖書を読もうとしました。

「さて聖書を読もうかな。今日の箇所は・・・ルカ2章か・・・」


さて、私は「ルカ2章」と知ってどう思ったでしょう。

とっても恥ずかしいんですが「なんだ。イエス様がうまれるところか。」

と思ってしまいました。

正直、子供のころから何度も読んでいるから全部知ってるし、つまらないな、と思ってしまったの。


でも、読むことにしました。1節、2節・・・と読んでいきました。

すると、なんか心の感動がじわーっと湧いてきて、

そんな自分にびっくりしました。

なんだか「聖書は知っているからもういい、という書物ではないんだよ。

いつでもどの個所からもわたしはあなたに感動を与える事ができるんだよ。」と神様は教えてくれているようでした。

「知ってる箇所だしー」って思ってしまった心を

神様にごめんなさいってしたことがありました。

「聖書を読むこと」は「本当の知恵」を育てまです。

ただ「いろんなことを知るため、知識をたくわえるため」ではありません。

学校でする勉強は「知識」ためにあります。

でも聖書は「知恵」のためにあります。

「知識」は時代によってころころ変わってしまいます。

でも「知恵」はいつの時代でも変わることがありません。

私たちは「知恵」を大切にして、神様の中で「知恵」を育てていきましょう。


創世記41章